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つくば建築ツアー(後半)

午後からはバスで移動しながらの、古民家めぐり。
まずは「高谷邸」へ。
江戸時代から建っているにも関わらず、震災の影響も小さかったという。



門構えといい庭といい、一歩玄関をまたいで中に入る瞬間でさえ、
とても古さを感じさせない、手入れの行き届いた
落ち着いたあたたかみのある家だ。



午後の部は古民家を研究しておられる東京都市大学の坊垣教授の説明によって鑑賞した。
なので当然、参加者も先生の学生たちが占めるのだけれど、
若い彼らにも、古き良き伝統のある芸術には直感的に惹かれるみたいで、
感嘆の声をもらしていた。



いまは住居としては使われていないせいか、
誰もいない空間はひんやりしていて、底冷えする一戸建ての寒さが身にしみる。
外気温と大差ない空気が充満し、靴を履いていない分、足の裏から感じられる冷たさがつらかった。



一歩外に出れば、すぐ裏側にかつては水が流れていたという大きな溝があり、
その向こう側にはつくば万博の会場の跡地になっている。
古い家をみていて気になったのは必ず梁の太い所や高い位置に
槍や刀などを置いておくためのフックのようなものが取りつけられていて、
何かあった時の護身用を置く場所があったことだ。
現在ではまったく見られないだけに、時代を感じさせてくれる。



ツアーでは定番の高谷家だそうで、
高谷さんは慣れたように離れのお茶飲み場に皆を案内し、
おいしいイチゴとみかん、つけものを用意してくれて、緑茶を頂いた。
ああ、なんかおばあちゃんちに来たみたい。

次は再びバスで移動し「大塚家」へ。
ここは国指定文化財ともなっている建造物。



築340年のカヤぶき寄棟造りの住宅。
ここではまだ住居としても使われているとかで、中に入るとストーブが焚かれ、
コタツがあったりして、生活感のある空間だった。



またここでも、おかし&お茶飲みをしながら雑談。
つくば大の学生が卒業研究の対象として扱われることもあるというのを聞く。
震災で一部崩壊し、柱も目視で曲がっていることが分かるほど傾いたりしていた。
かつて屋根裏で養蚕をしていたことを物語る、天井の四隅に開いている空気穴を覗く。
真っ暗なその先にはいまは何もなくとも、あの白い生き物がいたかと思うとぞっとしてしまう。



バスで今度は筑波山の麓の方まで移動。
相変わらずの曇り空は夕方に近づくにつれて寒さを増し、
商店街の人気のなさがより寒さを際立たせていた。



あるきながら、閉店してしまったという岩崎屋の外観をみたり、
米アイスクリームのお店に立ち寄ったり、
北条の古き街並みを拝見したりした。
やはりどこでも震災の影響を受けて改修工事をしているようだった。



上の写真はつくば山へ続いている一本の道の入り口。
ここからまっすぐに上っていくと、道は筑波山山頂へ向かうロープーウェーの入口まで続いているという。

PO20120205_0082_013.jpg

最後は江戸後期から昭和初期まで醤油店をやっていたという宮本家へ。
外観はこんな感じ。
店内は訪問した人のために展示物を公開している。
昔の人が使っていた様々な生活用具を宮本さんは丁寧にひとつひとつ説明してくれた。
高価な鏡や株券、江戸時代に使われていた銭箱。
アメリカから輸入したという初代のレジスター。



住居の中を通って裏口に出ると中庭があり、
穀物蔵として使っていたという、大蔵をみせてもらった。



これは蔵の中。
大蔵を音楽ホールに改築したのだという。
なんと立派なホームシアターだろうか。
壁には大きなスクリーンが設置されていて、本格的な音響システムと繋がっている。
ここではウィーンフィルによる演奏会を開催した実績もあり、
三年前のその時の映像を鑑賞させてもらった。

すっかり暗くなった頃、駅に戻ってきて解散した。
心残りなのは、途中通り過ぎるだけで中を見ることのできなかったカスミつくばセンター(マイケル・グレイブス;1992)。
オレンジと水色を基調としたカラフルで丸みを帯びた建物。
もっと近くで見たかった。

五十年前に研究学園都市として計画を受けてから、
つくば万博、TX開通の影響とともに変わってきたつくば。
現在の中心部が研究学園前に移りつつあるという。
そんな歴史を垣間見た一日だった。


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