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「十字路と絵本」

「十字路と絵本」というタイトルにある十字路というのは、
アメリカのミュージシャンであるロバート・ジョンソンの伝説、
「十字路で悪魔に魂を売り渡して引き換えにテクニックを身につけた」
という逸話がモチーフである。

月と太陽が浮かぶ絵本が開かれたような舞台セットに十字路の照明。

「願いごと」を叶えてもらうためにやってくる一人の若い女性。
女性の「願い」は曖昧で、十字路に来てなお何を叶えてもらうかを悩んでいる。
すると、謎の女(悪魔)がふらりと現れ、
「願いごとをかなえる代わりに大切なものをもらう」という。
若い女性は恐怖と好奇心の混ざり合った感情の中、
悪魔と契約した女の話(絵本)を聞くのだ。

こうやって三つの異なる物語が演じられる。

「嘘と踊るソナタ」「幸せな日々」「彼女から遠く離れて」
三つの物語の共通点は、
女性が“大切なもの”の代わりに願いごとをかなえてもらうという。

一話目は「バイオリン」の代わりに「お金」を、
二話目は「ハートの10」の代わりに「夫がいなかったことに」、
三話目は「日記」の代わりに「子供たちの幸せ」を
手に入れようとするのだ。

ひとつの話が終わり、節目節目に若い女は考える。
物語の意味を。彼女が何を選択したのか、どんな願いをかなえようとしたのか。
解説しているけれども、お客さんはどう考えたのだろうか。


一話目は、売れていないバイオリニスであるコトネと
女優志望の自由奔放なレイナの物語。

ふたりは、性格こそ正反対だが、姉妹のように仲の良い友達だった。
コトネはレイナのことなら、なんでもよくわかっていた。
彼女が男好きであることも、金遣いが荒いことも。
それでも、コトネは自由奔放で自分にはないものを持っているレイナに憧れていた。
だからこそずっとレイナの陰であり続けてきたのだ。

男の出現でふたりの関係は微妙に変わり始める。
レイナは男に好かれようとし、コトネはそれを止めようとする。
コトネはレイナと一緒にいたいのであって、男は邪魔者なのだ。
だけど、男はコトネをも誘惑する。
男は琴音にヴァイオリンソナタである
「クロイツェル」(ピアノとヴァイオリンが対等に旋律を奏でる曲)
をソロで弾かせることによって、
励ましと勇気と自信を与えるのだ。

コトネはレイナの金魚のフンではなく、
本来コトネが持っているけれども出せなかった自立した女の部分に気がつくのだ。
だから、最後にコトネは一人で部屋を出ていく。
レイナからもらった大切なバイオリンを置いたまま、
隠してあったお金を手に、新たな一歩を踏み出すのだ。


二話目は、夫婦の話。
妻は、夫との結婚を悔やんでいた。
なぜ自分はこんな男と結婚したのだろうかと。
そしてふと思う。「夫に消えてほしい」
最初からいなかったみたいに、ふっと消えてしまえばいいのにと思うのだった。

旦那は、あまりいい男としては描かれない。
口がくさい、食べ方が下品、音痴、ケチくさいなど、嫌な所をあげたらきりがない。
それを妻は嫌だなと思いつつも、結婚生活を全うしている。
そして彼女がいつも話しかけているピエロの人形に愚痴をこぼしていたのだ。
すると、ある日、不思議な郵便が届く。
一本のナイフ。
不思議に思いつつも、そのナイフを受け取る妻。
そして、いつの間にかピエロの人形は本物のピエロへと変化して
妻に夫への殺人を誘惑するようになるのだった。
慌てふためく女。
本当に殺したいわけじゃない。
夫は愛情深いトランプのカードはハートの10だと言って、
彼女にプレゼントする。
女は契約を取消したいと思う。
だが、無情にもその契約は取り消すことができず、
夫は死んでしまう。
「ハートの10のカード」の代わりに、夫は消えてなくなったのだ。

願い事の代わりに失った「バイオリン」と「ハートの10」は、
単なる“もの”ではなく、バイオリンは「レイナとの友情」、
ハートの10は「夫からの愛情」であることがわかる。けれど、
解説する若い女はそこまでは説明しない。


そして三話。
「彼女から遠く離れて」は親子の話。

痴呆となった母の世話を苦痛に感じていたメグミは、
母を施設に入れることにしたが、
兄のマコトが久しぶりに様子をみにくる。

母はかつて仕事をしながら、
一人でメグミとマコトを育てあげ、
過去の苦しみが、現在という時間の中に蘇ってくる。
子供に八つ当たりするような母をメグミは恨んでいて、
彼女にとって兄もまた、素直にはなれない存在だった。

そこへ母の家の片づけをした業者が、
一箱の段ボールを持ってくる。
中には母が書いた日記帳が入っていた。

母の喜びと苦しみ。
ふたりはそれを読みながら、少年少女時代を思い出す。
母の愛情を知ったふたりは、彼女を抱きしめる。
目の前のヒマワリと、
少年少女だった頃に見たヒマワリを想い浮かべながら。
母もまたメグミとマコトを抱きしめて。


三話で悪魔と契約したのはお母さんで、
お母さんは「日記」(=自分の記憶)の代わりに
子供たちの幸せを願ったのでした。

二話では笑いが起き、
三話では皆涙を流して感動していた。


一話をお客さんがどう感じるのか正直、不安だった。
作者の私がこれでいいのだと思っていても、
あるお客さんは違うと思うかもしれない。
伝わらないかもしれない、否定されるかもしれない。
あれでよかったのか、といまさらな事ばかり考えていた。
だけど、いろんな人の感想を聞いていくうちに、
作者が意図したことが「正確に」伝わらなかったとしても、
人によって解釈が違っても、それで良かったんだと思うようになった。
筆力が未熟なのは認めるけど、最初からこの企画はもやもや考えさせるための
物語であったことを思い出したのだ。
意図したことをわかってくれた人もいるから、全員がそうでなくてもいいんだと思えた。
それがその人の感じ方だから。
その人という人間そのものだから。

この舞台に参加させてくれた松下さんに
演じてくれた役者さんに心から感謝して、、。

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