キュレーターズ・チョイス
読売新聞の文化面で先週の木曜日に紹介されていたので、東京都写真美術館のキュレーターズ・チョイス展に行ってみた。それから、同時開催されていた世界報道写真展2006も足を踏み入れた。

キュレーターズ・チョイス展の方は、同美術館の館長、事業企画課長、学芸員、専門調査員、保存科学専門員、司書の計19人、130点ほどの作品が展示されていた。

各視点でのコメントが作品のタイトルの下に掲げられていて、作品を作った人と鑑賞する人との間の、その作品を“選んだ人”の顔が明確に表された形の展覧会だった。もちろん、選んだ人も鑑賞者のひとりってことだろうけど、その代表者として、鑑賞者にアドバイスを与えてくれる。確かに、学芸員(キュレーター)の仕事を意識させるのに、いいとは思うけど、作品を鑑賞するという純粋な目的に障害が生じてしまうのでは…と思った。

よかったのは、下岡蓮杖の作品や、カメラ・ルシーダという、絵画を模写する際に使う道具(実際にマイシェードを覗きながら、絵を見ながら絵を描く体験ができる)、松村泰三《デジタル・ピープ・ショウ》は、「見る」という行為を考えさせられる作品だなと思った。

石田哲郎さんが選抜した、巨匠たちの写真もよかったし、関次和子さんが選抜したし生物の写真も、普段目に見えない生命を拡大して見せることでその存在を知らしめるというか、生命の尊さみたいなものを表していると思った。どちらも写真という媒体を使って表現することがとてもその意欲を発揮していると思った。

ヒトと題する写真には、1.5ヶ月のヒトの姿が映っており、やむを得ず摘出されたものを適温エンゲル液の中で撮影したものということだったが、目や耳、手などがすぐに認識できるほどはっきりと形成されていた。

世界報道写真展2006
世界報道写真展2006の方は、結構人が集まっていた。大きなパネルに映った写真がずらっと隙間なく並び、どれも真に迫る勢いがあるものばかりだった。これは、世界報道写真財団が毎年、開催している前年1年間に撮影した報道写真を対象に行っているコンテストの入賞作品展。どれもインパクトのある写真ばかりであったが、中でも、個人的にはNature部門の写真が惹かれた。

ポール・ヘルマンセンの北極グマの写真では、モナコ氷河近くの流氷が映し出されており、小さな溶けた氷の上に北極グマが乗っていて、アザラシを食べている。氷がすぐそこにあるような感じと、熊の孤独な感じが出ていた(絶滅の恐れがある)。
マッシモ・マストロリッロの海岸に並ぶヤシの木の残骸、ダニエル・ベルトラのアマゾンの干害の写真も自然の驚異を表していて、改めて地球に住んでいることを思い知らされる。

後は、子どもの映っている写真。やっぱり、どの国でも子どもは純粋な存在として写真の中に居る。米軍に両親を撃ち殺されて泣き叫ぶイラクの子ども、山奥の村で生活している12歳の姉が3歳の弟を抱きしめている写真が印象的だった。子どもの表情とその姿は何だか、何かを恐れているような、愛情を欲しがっているような、それでも強く生きているような、そんな表情をしていた。

この記事のURL | 2006.07.09(Sun)22:45 | 感じたもの | Comment : 00 | Trackback : 00 | 


 
プロフィール
最新の記事
カレンダー
カテゴリー
ブログ内検索
過去ログ
メールフォーム
リンク
アートイベント
ブログ村
 

てんぷれぇ〜と by HemoSTATION
FC2ブログ 専門学校 テンプレート配布ページ