スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

子供の絵

ソウタギャラリーでいろいろ作品を掲載してきたわけだけど、急に思うことがあったので、とりとめもなく記してみようと思う。

保育園で作られた物や絵は、いつもどこか本物ではない「作られた感」が漂っていて、本当にソウタが100%作ったものでないということに、実はずっと、違和感を感じていた。それはよくできていても、決して良い感じを与えなかった。しかしながら、違和感があっても、それはそれで作品として気に入ったものもあったりして、部屋に飾ったり、写真に撮ったりしていたのだった。だから、それを「良い」と言って写真として載せることもしたのだ。

家で落書き帳に描く線は100%ソウタが描いたものであって、それは新鮮さを与えてくれたわけだけど、やっぱりそれも、何かを見たり、影響されて「作られた」絵であって、それは記号みたいに、絵描き歌の絵のようなこともあるのだった。そして、それはまた、苛立ちと違和感を与えるのだった。

一時、同じ魚やカブトムシの絵をひたすら描いているときがあった。毎日、毎日、同じ記号のような絵を何十枚と飽きずに描いていた。それも大人からみれば、新鮮さのない、面白みのない絵だと思うのだったが、本人はどういう気持ちで描いていたのだろうか。自分の好きなものを自らの手で作る快感のようなものがあるのだろうか。今は、目立ってそういう絵をずっと描いてはいないが、やっぱり描くものは決まっていて、いつも、同じような絵を繰り返し描いているのだ。

「もっとこういう絵は描きなよ」とか、「うまいね」とか、大人が想像しているものを描けばほめてしまうこともあったかもしれない。でも、それはやっぱり大きな間違いなのだろうと思う。

もうすでに手遅れかもしれないが、保育園で作られる作品はすべて、一様に作られたセオリー通りの「型」だ。こいのぼりを作ると決まっていたとしたら、こいのぼりの作り方があるのだろう。それに沿って、作っていく。その道筋から少しでも外れれば、それは違う、こうだよって教える。そう、教えられているのだろうと想像する。だから、その型にはまることが正しくて、そうでないことは正しくないって思ってしまっているかもしれない。子供なのに、無心に線を描けないのかもしれないと思う。

毎日、朝から晩まで1日の半分を同じ場所で過ごしている。その生活をもう5年間も続けているわけだから、すでに、人格や行動は決まった型ができあがっているのだと思う。競争をしない、平等主義の場所だとわかっていても、それを否定しながら、保育園を変えないのは、やっぱり自分の手抜きなんだろうな。

教育が大事だといいながら、自分の教育に精一杯である。会話をするのは朝の1時間だけ、という生活をやめようとは思わないのである。それでも、その短い時間で、少しでも保育園では教えないことを考えられる方法を伝えられたらな、と思う。

Trackback

Trackback URL
http://fivesenses.blog20.fc2.com/tb.php/171-4512afef

Comment

Comment Form
公開設定

最新の記事
カテゴリー
ブログ内検索
過去ログ
アートイベント