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私生活

ドラマゆとりですがなにかの中にレンタルおじさんという職業の人がでてきてとても興味惹かれた。
おじさんをレンタルして何がうれしいのだろうかと思うのだが、これは話を聞いてもらう人と時間にお金を払うというサービスのことで、相手は自分の生活とはかけ離れたおじさん(他人)なので、話しやすいというのがメリットというのだ。
実際のサービスはもっと幅広いのかもしれないけれど、私はこれを知ったとき、
「お金を払わなければ人は本心を語ることができない」
ということに気付かされ、現代社会に生きる人の心の病を感じた。

なんの気兼ねもなくあらゆることを好き勝手に話せる相手がいる人は幸せだ。
もし仮に本当に自由に言葉を連ねてみたとしても、それを聞いている人を不快にしていると気づいたり、都合の悪い現実や言葉を突きつけられることを一度でも恐れてしまえば、言葉を発することを躊躇してしまう。

私はずっとSNSの中で誰かが一方的に話すことの意味に対してどうしても許すことができないでいた。(今は目的があればそれを許容することができるところまで深くは考えなくなった)
黙っていることのほうがメリットが大きいと感じるようになり、あらゆることを拒絶し真摯でいようとすればするほど孤独になり、神経が過敏になっていくようだった。
当然、ブログも書かなくなり、そのうち何も書かなくなった。

これを書いている今は心の余裕ができてきたということだ。
育児生活で続いていた神経衰弱から少しは脱することができたのだと思う。
去年の四月から恥を忍んで勉強し直し、正月明けからようやく新しい仕事にありついたことが大きな転機になった。
風が吹き飛んでしまいそうなその小さな会社は、欲をいえば不平不満しかないけれど、それでも前よりはマシだと今のところは自分を納得させている。これを機にもっといろいろ挑戦していきたいと思う。
問題児の我が家のちびっこも園に行くようになり、私の生活はより楽になり、規則的で単調かつ彩りはまるでないけれども、満員電車の中で続ける読書のおかげで、不思議とめくるページが進んでいる。

求めていた時にはまるで誰とも交流する機会がなく、肩の力を抜くと自然に友人ができたり、出会いや別れがあったり、社会を感じられるようになったような気がする。
考えてみればそんな時でも、唯一、いつも髪を切ってもらっている美容師さんには自然と会話をしていた。
やはりお金を払っているからだろうか。


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