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編集長もどき

花束をもらった。
春にふさわしく、桃色の花でアレンジされた花束。
チューリップとカーネーションをより一層引き立てる黄色いバラ。

これを用意してくれたのは、友人、息子、ましてや夫などではない。
小学校のPTA総務委員の面々である。
「役員お疲れ様でした」という意味を込められたものだった。



考えてもみれば、わたしが小学校のPTA役員を二年もの間、こんなにも熱心にやることになろうとは、誰が予想していただろうか。自分でも驚きである。
仕事をしていた頃からしてみれば、天変地異の出来事である。
それまでPTAなんて言葉は、学園ドラマの中の教師をせっつく悪者のイメージでしかなく、時にはモンスターペアレントとなり、時には主婦同士で熾烈な戦いを繰り広げる裏表の激しい集団のようなものを想像していた。

だが実際にはそれとは全く違った。
わたしの目に映ったのは、学校や児童のために自らの時間を費やし尽くす母親たちの姿だった。
毎日のように学校へ足を運び、学校や子どもたちのためになにかできることはないかと、トイレ掃除をしたりボランティアに参加したりと無償で働く人達がそこにはいたのだ。
でもそんな人が「いる」ということですら、働いていたわたしには知る由もなく、想像すらしなかった。
だからこそ広報委員となったわたしにとって、それを広報紙に書くことは使命のようにも感じられた。

広報委員の仕事は、学校の様子やPTAの活動を記事にまとめた小冊子を作成することだ。
学期ごとに1回。8ページほどの原稿を前に企画を考え、取材、編集、印刷、発行までを行う。
取材は毎度学校へ写真を撮るためカメラ片手に撮影。
使う写真を選び、記事にまとめて文章にし、原稿のレイアウトを考える。
校正をし、委員の記事にダメ出しをし、最終的な原稿のしあげ作業をする。

それまで白黒だった紙面を、全面カラ―にで大胆にレイアウトを変更し、考えうる限りのことを試した。
委員長が企画したPTAに関する保護者の意見をまとめたアンケートの内容が功を奏して、県の代表となる賞をもらったりした。
そして要領を得た二年目は今度は自分が委員長として、まるで編集長のような心持ちで、毎度の発行を楽しんだ。
みんなが見たいと思うような、読みたいと思うような、広報紙は何だろうかと考え、思考錯誤を続けた。
これほど自由に、紙面を思うままにでき、なおかつ必読者が約束されているなんて状況が他にあるだろうか。
“読んでくれる人がそこにいる”と思うだけで、気がつくと何時間もパソコンに向かっている自分がそこにはいた。





役員は4月の総会を区切りに一年ごとに新しいメンバーに代わる。
何となく二年間も携わってしまったこの最後の仕事。
刷り上がってきた冊子を印刷屋から受け取り、クラスごとに仕分けをする。
これで小学校に来るのも本当に最後かもしれないと思い、その日は初めておうちゃんを抱っこして小学校まで歩くことにした。

その日は風のないからりと晴れた昼下がりで、校舎の中に入ると、子ども達は三角きんを被って掃除をはじめていた。
PTAルームでは新旧役員がごった返していて、おうちゃんは校内放送と大音量の言葉の波にびっくりしたような顔をしていた。

広報紙の表紙には、入学したての一年生が教室で初めて先生に挨拶している様子が写されている。
中は校舎に見立てた配置図のそれぞれの枠に先生方の写真と簡単な自己紹介。
背景の桜の写真が新しい一年がはじまったことを告げている。


すべての作業が終わり、知人の一人が声をかけてくれて、花束を持ってきてくれた。
もしこれが総会でもらった花束だったとしたら、こんなにも感慨深い気持ちは湧いてこなかっただろう。
わいわいがやがやした部屋でもらったこの花束はとても輝いていた。
それまでお世話になった教務の先生や校長先生にも挨拶した。
校長先生はちゃんと颯太のことを覚えていて、励ましの言葉をくれた。

正面玄関をくぐり、外にでると、午後の日差しが降り注いでいて、なんだか急に静かになったような気がした。それまでどこからともなく聞こえてくる子どもたちの歓声や、誰かのしゃべり声がぴたっと止んだような。

すると一陣の風が吹いてきて、すっとわたしの髪を揺らしていったのである。


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