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神頼み

受験本番まであと数日まで迫ってきた。

今年の初詣は菅原道真にお願いするため、白幡天神社に参拝することにした。
住宅街の一角にひっそりと佇むこの神社は、鳥居をくぐると神門があり、自然豊かな木々が整然としている静かなところだった。



社務所に入り、初宮参りと合格祈願の祈祷をお願いすると、奥の座敷に通された。
背広姿の初老の男性が一人座っており、わたしたちも心持ち落ちつかない感じで腰を下ろした。

颯太は絵馬を渡され、願い事を書いた。
わたしは去年読みだした神社と寺と教会の跡継ぎ三人が主人公のお仕事漫画“さんすくみ”というコミックのせいで、つい周りをキョロキョロしてしまう。

縁側の廊下を何度か神主さんと巫女さんが行き来する気配があり、襖が開いたかと思うと名前を呼ばれた。
初老の男性が返事をして、わたしは目をむいた。
驚いたことに、同席していたその人と同じ姓だったのだ。
こんな偶然あるだろうか?



本殿は開け放たれた扉のせいで、吹きっさらし。それはもうストーブの意味がないほどの寒さ。これはもう外と同じじゃないかと思いつつ、祈祷ははじまった。
寒さで思考が一杯になりそうなのを強引に押しのけ、神様にお願いをした。

痩せ型でベージュ色の上着を着たその男性は、家内安全を祈願していた。
なぜ一人なのか、何となく寂しそうな立ち振る舞いが、どこか頼りなさそうに見えた。
わたしの名字はそれほど珍しくはないが、同じ名字の人に会うのはあまり多くないことだ。
同じ名字ということは、遠い親戚という可能性もあるのだ。
もしわたしたちがここに居なかったら、この男性は一人ぼっちでこの寒い神殿にぽつんと座り、神頼みをしにきたのかと思うと、わたしたちがいてよかったのではないかと思えてきた。
途中、央晴が泣きだしてからは、若い神主さんもなんだかそわそわしているように感じたが、男性の方はそれほど気にしていない様子で、静かに座っていた。



塾に通いだした頃はわたしも懸命に勉強を教えていたが、中盤からはもう余計な口出しはするなと言われ大喧嘩になったり、途中もうやめると投げ出しそうになったこともあったが、もうここまできたらじたばたしても仕方がない。
あれこれ口出しして、高望みをしたり、期待をかけたり、文句をいったりしたけれど、結局は本人の力でやり遂げてくれれば、どこに合格しようが、不合格になろうが、本当は構わないのだ。
試験勉強を通して向き合った彼の経験こそが意味ある糧になるのだから。

母が川越のだるま市で買ったという合格祈願だるまを送ってきた。
親としてはあとは天命を待つほかない。

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あけまして2013

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします。

毎年恒例の年賀状。
年賀状は、去年から日本郵便が提供しているフリ―のソフト「はがきデザインキット」を使って作成している。
このソフト、フリーだけど結構すぐれもの。
素材のセンスもよいし、使い勝手も悪くない。
ひとつだけ難点があるとしたら、フォントの編集があまりできないことくらいだろうか。
ある程度の自由度もあるし、簡単な年賀状であれば数分で作れてしまう。



ところで、普通の人はみな年賀状を何枚くらい書いているのだろうか。
平均何枚くらいといった一般的な数値など、あるのだろうか。
年齢別で調査すれば差がでそうだけれど、結局は“人に依る”のかもしれない。

誰に出すか(出すべきか)、というのも人に依るのかもしれないが、わたしの場合は(常識はともかく)、「送られてきた人に返す」という方針にしている。
特に会社を辞めてからは、「来た人に返そう」くらいの受け身でいたのだが、送られてくるタイミングが遅ければ遅いほど、返信も遅くなってしまうというのが、どうしても許せず、送られてくるだろうと予想される人にはあらかじめ年賀を用意することになり、出す人と送られてくる人は大体30人くらいになった。

だけど、あえて本心をいえば、義理や建前で出さなくてもいいのではなかろうか、と思っている。
年賀状から相手の顔がみえないと、どうして送ってきているのか、わからないからだ。

わたしが年賀状を出す理由はひとつ。
それは一年に一回、白い小さな紙に好きなようにデザインするのが楽しいからだ。
何を隠そう、わたしは「新年の挨拶」という理由をつけて「どうだい今年の年賀状は」と、人に自分の作品を送りつけているのである。

送られてくる年賀状は、大方3つのタイプに分けられる。

1)子どもの写真がついているもの
2)夫婦の写真がついているもの
3)干支などのデザインだけが印刷されているもの

1)の場合は若い夫婦で子どもが生まれると必ず送られてくる。
2)の場合は結婚しているけど、子どもがいないうち。それは3)の場合もある。
子どもがいても、子どもが成人していたり、一緒に住んでいなければ 3)のタイプになる。

そこで思うのが、もし年賀状に子どもの写真を載せるとして、何歳まで載せるか、という疑問。

わたしの親は年賀状を描かない方だったから、私自身はもちろんのこと、家族写真なんかを年賀状に採用することはなかったのだが。
もし、颯太が中学生になっても(今年はもう中学生になるが)、高校生になっても被写体になってもらうつもりなのだけれど、それはおかしいだろうか。
もしかしたら、本人が嫌がるかもしれないけれど、絶対に嫌だというまで、わたしはきっと息子を被写体として使い続けるだろうと思う。

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