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短編小説を書く

よく学校に通っている夢をみる。
学校といっても、中学や高校、ましてや大学などではなく、なぜか小学校なのだ。
実際に通っていた小学校に大人の私がいる。
校舎の階段を上ったり、降りたり、
教室と廊下があり、教師がいて、何かを学んでいるという状態が、ごく自然に私の中で受け入れられるのだ。
勉強しかすることがなかった時代には、そこから逃れようと無駄な抵抗を試みていたのに。
学校を卒業し、もう学校へ行かなくてもいいとなると、働いているより、勉強している方が気が楽だし、もっと勉強していたいと思うのだから、本当に勝手だ。

今年の四月から九月の半年に渡り、淑徳大学の社会人講座で「短編小説を書く」という講座を受講した。
講師は現役作家の盛田隆二先生で、課題をこなしながら講義を受けるという形式だった。
小説を書き続けるモチベーションを上げるためにも通ってみようと、今年の初めの頃に気軽に申し込んだのだった。

講座は池袋駅から徒歩五分くらいの雑居ビルの中にある小さな教室で行われていた。
生徒の年齢層は、20代から60代くらいまでで、全体的には高年齢層だったような気がする。
働き盛りの人間が平日の昼間に時間を作って通うのは中々難しいと思えた。
20代の生徒は普段何をしているのかわからなかったし、30代、40代の人は仕事をしながらも、時間を作って通い、途中で挫折したり、もしくは、時間に融通の利く人だけが、講座を受けているような気がした。
生徒は13~4人ほどまで増えたものの、結局、最後の短編小説を書く課題までこなした人は、11人だけだった。

いつも先生の穏やかな口調はなめらかで、理論や知識を話す場合はなんだか曖昧な気がした。
白黒つけたい私としては、明瞭でないことに最初戸惑いもしたが、よくよく考えれば、小説を書いている人ほど、物事の捉え方は簡潔にというよりは修飾的で、形を捕えながらも表現にこだわり、わかりにくいものだと、妙に納得するに至った。

毎度、課題について他人の作品をアレコレ講評するのは、分析をしつつ自らを省みることができるので為になり、先生の広い心でとりあえずは、自由な個性を全て受け入れる姿勢は傾倒できたので、講座に行くのは愉しみの一つだった。
だからこそ、全12回の講座はとても短く感じ、
終わる頃にはもっと続けていたいなと思っている自分に気がついた。

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残暑すぎて秋

暑さ寒さも彼岸までというように、彼岸を過ぎたら本当に朝晩が過ごしやすくなった今日この頃。

遅くなりましたが、9月6日から四日間に渡る公演のため、劇場まで足を運んで頂いた方、ありがとうございました。
私の数少ない知り合いの中の希少な方々、いつも感謝しております。

今回の公演も前回と同様、脚本と制作を担当しつつも、当日まで全体の演劇を見ることができず、しかも公演中は最低2回は観る予定が、直前になって医者からレッドカードを出されたために尻ごみし、結局、劇場に行ったのは最終日のたった一回…。
多忙な息子とも予定が合わず、劇場で会えた友人は一人きり。
そんな少し淋しい気持ちをかかえて、第三回の舞台は幕を閉じたのでした。

初日からCorichのレビューで五つ星を連発。
観に行ってきたよ、とメールをくれる友人も皆、「感動した」「涙した」とコメントしてくれるものの、本人はちゃんと全部観てないのだから返答に窮し。

念願の舞台は、予想を超えたホタルの光が舞う美しくも不思議な物語でした。
オムニバスを意識させたくないという希望から、各作者名をパンフには記入しなかったのだけど、私が担当したのは一話目でした。

照明メーカーの同僚の一人が事故死して、「彼」がやり残した仕事を全うしようとする三人。
前途多難な三人の前に、現れた一人の奇妙な女性。
「女性」は三人の手助けし、最後まで仕事をやり遂げる。
「彼ら」は亡くなった「彼」のことを想いながら、亡くなった「彼」もまた、「彼ら」のことが気になって「女性」として現世にやってきて、「彼ら」を助ける。
「もう一度働きたいな」と最後に彼に言わせたのは、私の気持ちでもあったのだけど。


スランプ中の作家が新人編集に連れられて、お盆に田舎に帰省する。
そこで作家の頭の中に浮かんだ一つ目の物語が、このお話。

ネタバレとコメディでまとめた二話と、シリアスな家族愛を前面に出した三話を経て、物語はクライマックスへ。
タイトルのナツ。キタル。ホタル。の意味も観た人は「なるほど」と感じたことでしょう。

しかし今年の夏は暑かった。
物哀しくも過ごしやすい秋を期待したいなぁ。


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