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ここは小石川植物園。
下の写真はサクラ林の入り口。当然だが桜はまだ咲いてない。
満開の時はさぞかし美しいに違いない。
その頃もう一度来たいな、と思いつつも
どんな場所でもいつも時期外れに訪れてしまうタイミングの悪さをそろそろ反省しないと…。



この公園は江戸幕府が開園し、その後東大の研究施設として管理されている。
入場券を向かいのたばこ屋で買うのが楽しいね。大人330円。小人110円。




正門から歩いていくと最も端にある日本庭園に建つ総合研究博物館小石川分館は、
東大の中で最古の重要文化財となっている建造物。
明治時代を象徴するかのような赤が際立っている。



植物種類ごとにある程度まとまって育てられていて(温室もある)、
どこもかしこも見上げるような高い木々に囲まれている。
これは杉の一種であるメタセコイア。
なんか理科の問題にでてきていたなあ。



こんな冬のさびしい園内だけど、人は少なくなかった。
一番の注目は、ウメ林。
寒波のせいで、開花が遅れているというが、
咲いているのをみつけた瞬間の小さな喜びは何ともいえない。



花が咲いているだけで湧きあがる温かさは、
ひなたぼっこで味わう心地よさに似ている。




まだ蕾ばかりの木も多かったが、
木によってはしっかりと咲き始めているものもあり、
多くの人が梅の花を楽しんでいた。



満開になるには、まだあと数週間くらいかかりそうだ。
でも春はもうすぐそこまできている。

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つくば建築ツアー(後半)

午後からはバスで移動しながらの、古民家めぐり。
まずは「高谷邸」へ。
江戸時代から建っているにも関わらず、震災の影響も小さかったという。



門構えといい庭といい、一歩玄関をまたいで中に入る瞬間でさえ、
とても古さを感じさせない、手入れの行き届いた
落ち着いたあたたかみのある家だ。



午後の部は古民家を研究しておられる東京都市大学の坊垣教授の説明によって鑑賞した。
なので当然、参加者も先生の学生たちが占めるのだけれど、
若い彼らにも、古き良き伝統のある芸術には直感的に惹かれるみたいで、
感嘆の声をもらしていた。



いまは住居としては使われていないせいか、
誰もいない空間はひんやりしていて、底冷えする一戸建ての寒さが身にしみる。
外気温と大差ない空気が充満し、靴を履いていない分、足の裏から感じられる冷たさがつらかった。



一歩外に出れば、すぐ裏側にかつては水が流れていたという大きな溝があり、
その向こう側にはつくば万博の会場の跡地になっている。
古い家をみていて気になったのは必ず梁の太い所や高い位置に
槍や刀などを置いておくためのフックのようなものが取りつけられていて、
何かあった時の護身用を置く場所があったことだ。
現在ではまったく見られないだけに、時代を感じさせてくれる。



ツアーでは定番の高谷家だそうで、
高谷さんは慣れたように離れのお茶飲み場に皆を案内し、
おいしいイチゴとみかん、つけものを用意してくれて、緑茶を頂いた。
ああ、なんかおばあちゃんちに来たみたい。

次は再びバスで移動し「大塚家」へ。
ここは国指定文化財ともなっている建造物。



築340年のカヤぶき寄棟造りの住宅。
ここではまだ住居としても使われているとかで、中に入るとストーブが焚かれ、
コタツがあったりして、生活感のある空間だった。



またここでも、おかし&お茶飲みをしながら雑談。
つくば大の学生が卒業研究の対象として扱われることもあるというのを聞く。
震災で一部崩壊し、柱も目視で曲がっていることが分かるほど傾いたりしていた。
かつて屋根裏で養蚕をしていたことを物語る、天井の四隅に開いている空気穴を覗く。
真っ暗なその先にはいまは何もなくとも、あの白い生き物がいたかと思うとぞっとしてしまう。



バスで今度は筑波山の麓の方まで移動。
相変わらずの曇り空は夕方に近づくにつれて寒さを増し、
商店街の人気のなさがより寒さを際立たせていた。



あるきながら、閉店してしまったという岩崎屋の外観をみたり、
米アイスクリームのお店に立ち寄ったり、
北条の古き街並みを拝見したりした。
やはりどこでも震災の影響を受けて改修工事をしているようだった。



上の写真はつくば山へ続いている一本の道の入り口。
ここからまっすぐに上っていくと、道は筑波山山頂へ向かうロープーウェーの入口まで続いているという。

PO20120205_0082_013.jpg

最後は江戸後期から昭和初期まで醤油店をやっていたという宮本家へ。
外観はこんな感じ。
店内は訪問した人のために展示物を公開している。
昔の人が使っていた様々な生活用具を宮本さんは丁寧にひとつひとつ説明してくれた。
高価な鏡や株券、江戸時代に使われていた銭箱。
アメリカから輸入したという初代のレジスター。



住居の中を通って裏口に出ると中庭があり、
穀物蔵として使っていたという、大蔵をみせてもらった。



これは蔵の中。
大蔵を音楽ホールに改築したのだという。
なんと立派なホームシアターだろうか。
壁には大きなスクリーンが設置されていて、本格的な音響システムと繋がっている。
ここではウィーンフィルによる演奏会を開催した実績もあり、
三年前のその時の映像を鑑賞させてもらった。

すっかり暗くなった頃、駅に戻ってきて解散した。
心残りなのは、途中通り過ぎるだけで中を見ることのできなかったカスミつくばセンター(マイケル・グレイブス;1992)。
オレンジと水色を基調としたカラフルで丸みを帯びた建物。
もっと近くで見たかった。

五十年前に研究学園都市として計画を受けてから、
つくば万博、TX開通の影響とともに変わってきたつくば。
現在の中心部が研究学園前に移りつつあるという。
そんな歴史を垣間見た一日だった。


つくば建築ツアー(前半)

NPO法人つくば建築研究会主催の「つくば建築ツアー」に参加した。

つくばといえば“大学と研究所と製薬会社があるところ”というイメージでしかなかった。
こんなに名だたる建築家の設計した建物があるなんて知らなかったのだ。

参加費は6000円で丸1日。
ランチ代と「つくば建築フォトファイル」(写真と図版が掲載されている本)が含まれていてる。
午前中は駅周辺の近代建築をNPO法人の人にガイドしてもらいながら鑑賞し、
午後はバスで移動しながら古民家をまわるというスケジュールだ。



この日、雨こそ降らなかったものの空一面灰色の曇り空で、とても気温が低かった。
そのどんよりした空と同化したような色のつくばセンタービル(磯崎新;1983年)にある石の広場。
ローマのカンピドリオ広場の模様を反転させたデザインだという。
当時の建築界に影響を及ぼすきっかけとなった建物。
だがその権威ある場所もいまは殺風景さばかりが強調されているかのような人通りのなさ。
日曜のお昼近くだというのに、建物の中も外もあまりに人がいなかった。



駅から離れて歩きだすと、初めての住宅(マンション)がみえてきて人通りがでてきた。
舗装されたレンガ道が高級感を出している。



この道の右側には南3駐車場(伊東豊雄;1994)が見えてきた。
駅前のMOGと一緒につくられた南1駐車場(板倉建築研究所;1989)といい、
駐車場ですらもこだわりをもって設計されていたことが伺える。



ここは国際会議場「エポカルつくば」(板倉建築研究所;1999)。
広々とした近代建築らしい建物。
アトリウムから一歩外に出ると、通りを挟んで市立竹園西小学校(原広司;1990)が見えた。
外観からしか拝見できなかったが、とても小学校とは思えないデザイン。
こんな小学校に通える小学生はうらやましい。



午前中の最後はつくばカピオ(谷口吉生;1996)の中へ。
シンプルだけど、洗練された設計であることが見た瞬間に感じられる。



中ではバレーボールの試合をしていた。
この二階からの観客席も、観る人を意識してガラスの高さや厚さを考慮して
造られたことを知る。



カピオの向かいにあるカフェベルガー(谷口吉生;1996)でお昼。
とにかく写真からもわかるように、太陽がなくて
とても薄暗く寒い日だったため、少し散歩しているだけで身体が冷え切ってしまった。



ランチはこのお店で出しているメニューならどれでも事前に選ぶことができたので
わたしはロコモコ丼を注文した。
食べながら、目の前にいる女子大生に自己紹介してくださいと迫られ困った。
ひとりだけ建築とは無関係のなんらプロフィールのない自分に、
興味を惹くような適切な言葉はないかと探ってみたけれど、
やはりただの何者でもない人間でしかないのだった。


普通救命講習

消防署で実施されている「救命講習」。
市内で発行されている広報紙に受講生募集の記載があった。
心肺蘇生、AEDの使い方を教えてくれるとある。
昨今の防災への関心の高まりが私の背中を押してか勢いで申し込みをした。

ある日曜日の朝九時から正午までの三時間。
消防署内の視聴覚室に行くと、十名ほどの老若男女が集まっていた。
もっと少ないかなぁと思っていたのに、ちゃんと危機意識を持って習いにきている人がこれだけいるのだ。立派だと思う。わたしなんてのは好奇心だけがあって、実際やるとなったら尻込みしてしまう方なのだから。



救急隊員による講義のあとに、消防署隊員の補助を交えて実際の訓練を行った。
動画スライドを見ながら、まずは「胸骨圧迫」。
胸骨圧迫というのは、いわゆる心臓マッサージのことで、
呼吸ができなくなり意識を失っている人や、
心臓が悪く呼吸が困難な人に対して行う対処療法だ。

右手の平に左手のひらを重ね、肘をのばした状態で、胸の中心辺りを身体全体で圧迫する。
1秒間に1回くらいの速さで30回連続で行い、
間に人工呼吸を挟んで、再び胸骨圧迫を繰り返す。

腕で押そうとすると疲れてしまうので、全身で押す。
「五センチくらいへこむように」なんて言っていたけど、とても無理だ。
この時、顔色を伺いながら実行するのがベストだ。
次に人工呼吸。左手でおでこを傾け鼻をつまみ、口から息を吹き込む。
この時、気道を床と並行にすることと、胸が膨らむくらい息を吹き込むことが大事だ。
呼気の17%は酸素だというからこれを送り込むことが使命というわけだ。

繰り返すこと十数回。
なんどもやっているうちにさすがに慣れてきたけれど、体力を使う。
それに比べて、AEDの使い方はなんて容易で単純なのだろうか。
赤いバッグを開くと中には本体と電極パットが入っているだけで、
電源を入れると、音声ガイダンスが流れる。
使用者はこのガイダンスに従って、操作をするだけでいいから、非常に便利である。
AEDの使い方


こんな流れでシミュレーションをした。

(1)倒れている人を発見。
(2)周囲の安全を確認。(この時危険な場所であれば移動する)
(3)「大丈夫ですか?」と尋ねる。(三回)
(4)意識がない場合、誰かを呼び、119番通報とAEDを持ってきてもらうように頼む。
(誰もいない場合は自分でまず119番通報する)
(5)腹と胸が動いていないことを確認し(呼吸していない)、胸骨圧迫を開始。
(6)AEDが到着したら、その人に使えるかどうかを確認し、
できるなら胸骨圧迫を続けたままAEDの電源を入れ、準備を整える。
(7)AEDの電極パッドは、心臓を挟むように張り(背中と胸でもよい)
AEDが心電図を測定している間は、身体に触れない。
(8)AEDの音声ガイダンスに従って、ショックが必要な場合はボタンを押す。
(9)ショック実施後、再び胸骨圧迫と人工呼吸を続ける。


救命のガイドラインというのがあるらしく、
五年に一度のタイミングで更新されているという。
今回、実施した講習の内容は2010年版。
大きく変わったところとしては、AEDが全年齢対象となったところだという。
幼児にも使ってよいのだ。
AEDの種類によっては、電極パッドも小児用のものが入っているとか。

救急車が到着するまでは7分必要で、
心室細動が起こると、10分以内に処置をしないと命が危ないという。
そんな場合の心臓マッサージ。
これさえできれば、命がつながるのなら単純で強力な方法だと思う。



最後に救急隊の人は年間数千回の出動のうち7割が軽傷患者という現状を語った。
歩いて病院に行ける人は救急車を利用するのを控えてほしいという。
本当に重症な患者を助けられるようにするためだ。
脳卒中の人は顔が硬直し、目をつむって手を上げられなくなり、
三時間以内に治療をはじめないと危険な状態となる。
心筋梗塞の人は胸が押されるような感覚を覚え、冷汗をかきながら呼吸困難に陥る。
そんな人たちを助けるために、救急車と周囲の人の助けが必要なのだと言った。



節分会

不動ヶ岡不動尊と呼ばれるお寺で380年以上の続いている節分会。
「鬼追い式豆まき」というのがどんな風に行われるのだろうか。

場所は埼玉県加須市。
東武伊勢崎線で久喜まで上り、館林行きに乗り換えて加須駅で下車。
駅からは二キロほど離れている。
北口をでて案内板のひとつでも出ているかなと思ったら何もなく、
二番乗り場のバス停で時刻表を確認したら、一時間一本程度の運行頻度だった。
バスが定刻になってもなかなか来ないので、歩きかタクシーかなどと悩んでいたら、
無事にバスの姿が見えた時はほっとした。



数万人訪れると書いてあったが、平日の正午のせいか都心ほどの混雑はなく、
出店や参拝客でにぎわっていた。
(写真でみるとかなり混んでるね)



「始めます」の合図があってから、しばらくお経が続き、
鬼を呼ぶための儀式であったのだろう、赤鬼、青鬼、黒鬼が本殿の奥から現れた。
赤鬼は長さ三メートルほどの長い箒のような棒で松明をつくり、
それを持ったまま、境内の周辺をぐるぐると回りはじめた。
松明が短くなるまで、かなりの間それを振り回した後、鬼は中へと姿を消していった。



次に出てきたのは、豆まきのために出てきた代表者。
市長や学校の理事長、芸能人の方々である。
一通り挨拶をすませると、大勢の観客に対して豆をまき始めた。
豆だけでなく、小銭を包んだ白い紙や菓子も飛んできた。
私が立っていた場所、境内に向かって右端の方にはなかなか飛んで来ず、ただ傍観していたのだが。

豆がまかれた瞬間に飛びつくようにして出てくる手や人の群れが、
なんというか、池の鯉に餌をやっている時の光景と重なって仕方がなかった。
民衆は鯉と同じか…



帰りはお寺から出て左側に続く道に並ぶ、地元の方々による出店をぶらぶらと見てまわり、
そのまま駅まで歩いて帰った。

松明を持って踊った“赤鬼”は「貪欲」を意味し、すべての悪の象徴だという。

「鬼」がもし人から生まれた「悪」だとしたら、
それを追い払う儀式は人にとって大切な浄化作業だ。
だがその「悪」が「鬼」となって目の前に現れた時、
それは自分とは異なるものだと認識し、
己から生まれてきた「悪」だと気づくことは難しいように思う。

「悪いことしたら鬼がくるよ」と、こどもに脅しをかけるみたいに、
大人に対しても人々の中に隠れている悪意を戒めるために、
この儀式はあるのかもしれない。

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