スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

軍艦島

今年の夏休みは信じられないほど加速度をつけて過ぎ去り、
時間の奴、実は止まってるのじゃないの、とか錯覚を覚えるほどの感覚であった。
かつて自分が小学生の頃、宿題を一体どうやって片づけていたのかまったく記憶にないけれど、31日ぎりぎりまで宿題に追われた記憶もなかった(本当はやってなかった?)
息子は最終日、蒸し蒸しとした部屋で一日中、イヤイヤ読書感想文を書いて休みを終えた。

この夏は二回だけ遠征した。長野と長崎。
長崎は以前から念願の希望であった軍艦島訪問であった。
数年前一時廃墟ブームらしきものが沸いていた時、
軍艦島への観光ツアーができたと聞いて是非行きたいと思っていた。

軍艦島は長崎港から出ている専用船で行くことができる。
一日に2回ほどある「上陸ツアー」は港の窓口でチケットを4300円で買った。
一時間弱もの間、船に揺られながら
海の男っぽい日焼けした若い男性が、
船上から見える長崎港の様子をガイドしてくれた。
中でも、三菱重工長崎造船所の巨大クレーンや、
海上保安庁の漆黒の軍艦は迫力がありすぎて、
あまりに見とれていたため、シャッターをうまく切れなかった。

しばらくすると、船員は、
「島には飲み物を買うところもありませんので、今のうちに買ってくださいね」
と注意を促し、
「暑いですから、帽子をいまから配ります」
と、帽子を持たない人全員につばの大きい農業用みたいな麦わら帽子が配布されたが、
わたしは自分の帽子でいいと思ってその帽子を断り、
喉乾いてないから水もまだいいやと思って買わなかった。
何しろ、1階の涼しい所にいた私である。完全に外の暑さをなめていたのである。

船が島に到着し、
わくわくする気持ちを抑えられず、期待の一歩を踏んだ刹那、
あまりの太陽光の強さに眩暈を覚えた。
そして、上陸して数分も経たぬうちに汗が滴り落ちてきたのだ。

PO20110829_0056_013.jpg

船に乗っていた五、六十人あまりの人が全員降りると、
班に分けられ、それぞれガイドの人に従って見学通路を歩き、
三か所の見学場所でかつての軍艦島の歴史などを聞いた。

念願の軍艦島に着いて早速、写真を撮りまくっていたが、
なぜか腕が鈍るというか、視界がぼやけてくる。
コンクリートの塊のようなこの島の上で、
もう身体はどろどろに溶けてもおかしくないくらいの状態となった。

ガイドのおじいちゃん、よく平気でしゃべってられるな
なんでこんなに元気なんだろ、長崎の人ってこんなの平常通りなのかな
と本気で関心した。
やっぱ水買っとけばよかった。やっぱ麦わら借りときゃよかった。

PO20110829_0045_013.jpg

この島はなぜこんな変わり果てた姿となってしまったのか、
その歴史は1810年、石炭が発見されてからである。
1890年に三菱が本格的に改定炭鉱としての操業が始め、
1974年までの84年間、炭鉱の島として発展し続け、
エネルギー革命によって石炭の価値がなくなり、閉山してからは、
37年もの間ずっと無人島であり続けてきたのだ。

軍艦島はすべての場所を見学できるわけではない。
見学通路は島の片側、しかもかなり限られた場所で外観から遠目にみることしかできない。
それでも建物に近づくことができた。

PO20110829_0050_013.jpg

日本初の鉄筋コンクリート造の高層住宅地は、この島に立てられたという。
こんな小さな島にかつての近代化がすべて詰め込まれ、
豊かさを求めて人が集まり、生活があり、日本の先端を走っていたことが、
目の前の無人の建物の中にあったとは、信じがたいことだった。
けれども、ここには人がひしめき合いながら世界をつくっていたのだとしたら
これほどに惹かれるものはない。

PO20110829_0037_013.jpg

写真に映っている赤い煉瓦の断片は銭湯だったそうで、
炭鉱の仕事を終えて帰ってきた男たちが、まず海水の浴槽にそのまま入り、
次に隣の海水の浴槽2に入って汚れを落とし、
上がり湯だけしか真水を使えなかったという話を聞いた。
常に真っ黒だったという風呂は一体どんな有様だったのか、
酷い汚れに違いないとその様子をしばし夢想した。

PO20110829_0025_013.jpg

これは精錬された石炭を貯炭場から運搬船に運ぶための
ベルトコンベアーがあった所でいまは支柱だけが残っている。

採掘作業は海面下1キロまでおよび、
中の気温は30℃、湿度は95%という悪条件の中働いていたという。
そして、掘り起こした土は島を埋め立てるのに使い、
もとの島の大きさの3倍にまで広げていったのだ。

島に留まっていた時間は一体何分だっただろうか、
あまりの暑さのために記憶がなくなっていたため、カメラの記録を見たら40分程度だった。
建物の風貌、風化具合に感動したものの、やはり外観だけでは物足りないというか、
建物の中に侵入して、町の様子を見ることができたらどんなにいいのにと思った。
危険なことは理解できる。
実際、先日長崎をかすった台風2号のせいで、通路の柵が殆ど壊れ、
建物の一部も崩壊したという話を聞いた。
それでも、もう少し接近できたらと欲がでてしまう。
それにしても、こんなに暑いとは(そればっかり)。

PO20110829_0073_013.jpg

船は島を出ると、来た道をそのまま帰るのではなく、
島をぐるっと一周するようにして、元の航路へと戻っていく。
その際に、この島が「軍艦島」と呼ばれる由縁となった姿を拝むことができた。
正式名は端島というのだが、この姿が軍艦「土佐」に似ていることからこの名がついたという。
確かに軍艦の形に見える。

流線形を横から見たような先端の形、
激しい波に幾度となく晒され絶妙な色合いを出している高層アパートと黒い窓枠が
まさしく船の乗船部分になっているようだ。

PO20110829_0076_013.jpg

学校も病院も神社も映画館もあったという町。
だがこれはいってしまえば、ただの色褪せたコンクリートの塊である。

私はガイドが言っていたガイドらしからぬ言葉を思い出す。

「どうして人はこんな廃れた所に魅力を感じ、
どうして多くの人が訪れたいと思うんでしょうか。
すごく不思議ですよね」

その理由を考えてみた。

長い時間をかけて変わり果てた異空間に身を置くことで
不可思議さを体験しつかのまの歴史を感じたいからではないか。
もしくは、誰しもが現実の中で不条理さを感じつつ「現在」を生きているからこそ、
「過去」の不条理さに共感し、心を癒したいからかもしれない。

と、あれこれ考え、
青い海にぽっかりと浮かぶいまにも動き出しそうな島を
船の二階から激しい海風に煽られながら、
遠ざかり、小さくなって見えなくなるまで
ずっと眺めていた。



スポンサーサイト
最新の記事
カテゴリー
ブログ内検索
過去ログ
アートイベント