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秋の黄色い雑草

この町に住み始めて三年半くらい経った。
相変わらずここはぱっとしないし、これといって特長もない所だけれども、
唯一のお気に入りの場所は、
何といっても中川沿いの新堤防&遊歩道である。

八潮駅から、つくば方面にまっすぐに伸びた鉄道沿いに、
車の比較的通らない、舗装された道があり、
平らなコンクリートの道を自転車ですいすいと15分くらい走ると着く。
この鉄道下の道を、とにかく「まっすぐ」に行くと、川に辿りつけるのである。
(実際にはまっすぐ道が通っているわけではない。無理やり、まっすぐ行くのである)

徒歩だったら、駅から20分以上は要する。
住宅街などもお構いなしにまっすぐ行くと、
中川遊歩道に行きあたる。

幅、2メートルくらいの狭い道である。
(自転車1台が限界くらいの幅)
これは「川沿い」というよりも、
川から数キロ離れた「住宅街の傍」を走っている道であり、
くねくねと、遠足で歩く道のように、楽しい散歩道である。

それとは別に、より川の傍に国土交通省の指定によりつくられた
新しい堤防がある。
 
CIMG2142_013.jpg

PO20091011_0001_013.jpg

時々、気が向くとここに赴くのだが、
この道はかなり長く続いており、利用している人も少なく、
とにかく見晴らしがいいので、走っているだけで気持ちがいいのである。
この道は途中で途切れているのであるが、
道が完成したら、川上から川下まで一度、完走してみたいものである。



中川に行くまでの途中、
例のまっすぐな道沿いには、たくさんの空き地がある。
そこに、先日、すごい数の黄色い花が生えているのに気がついた。
辺り一面、黄色で染めつくすような勢いの生命力。

調べた所によると、
これは「セイタカアワダチソウ」というらしい。

IMG_0207_025.jpg

秋になって突然現れたこの雑草達を見て、
コワイくらい生えているので「こんなに生えてて大丈夫?」と
本気で心配するくらいの量であった。

とにかくやたらに生えているのである。

IMG_0210_025.jpg

この植物は、wikipediaによると、
北アメリカから人為的な方法で持ち込まれ、野外で勝手に生息するようになった帰化植物で、
他の植物の生育を抑制する「アレロパシー」を放出する、
ススキと競合する多年草らしい。

これを読んで納得したのだが、
確かに、コヤツらが生えている場所には、ススキが生えていなかった。
ススキは、ススキでセイタカアワダチソウが生えていない場所に、
まとまって、ひっそりと生えていたのである。

セイタカアワダチソウは、その名の通り、背が高い。
開発途中の土地に盛られた土にびっしり…と生えていた彼らは、
私の身長を優に超えていたので、
1~2メートルくらいはあっただろう。


私が育った町は元々土が田畑であったこともあって、
この時期になると、どこもかしこも、
「彼岸花」が姿を現した。
緑と灰色で塗られたような景色の中に、赤々と咲く彼らの様子は、
遠くからでも目に入り、忘れられない光景となって
いまでも脳裏に焼き付いている。

茎にアルカロイドという毒を持ち、
死人花(しびとばな)などの異名もあるような、ちょっとコワイ花だけど
美しく優美に見えるのである。

しかし、この土地には彼岸花は一切、生えておらず、
だから少しさびしいのである。
セイタカアワダチソウもいいけど、彼岸花も持ち込んだら、
生えてくれるだろうか。。(冗談)



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Nスペ「夢の新薬が作れない~生物資源をめぐる闘い~」

10月11日にNHKで放送されていた、
NHKスペシャル『夢の新薬が作れない~生物資源をめぐる闘い~』を観た。

まさに今、COP10(生物多様性条約第10回締約国会議)が
名古屋で開催されていることもあって、
この放送は一般の人にCOP10への興味をもたせるためには
とても分かりやすい番組だった。


薬っていうのは、化合物なんだけど、
新しい薬を見つけ出すためには、膨大な化合物の中から使えそうなものを
例えばコンピューターなどを使って絞り込み、候補を見つけてから
実際の実験に入ったりするのだけど、
そもそも、コンピューターで処理する場合にはそれを計算に用いている情報が大事で、
その情報は既に知られている化合物が元になっているから、
似たような薬を作るのは得意だけど、画期的なものを生み出す力は弱い。

そこで、自然界にある様々な資源(たとえば植物ね)に存在する成分の情報を加えて
薬になるものを探すという方法が取られている。
しかし、地球上にある植物も膨大にあるため、どれがどんな病気に効くのか調べるのも
骨の折れる作業だ。
そこで、例えばアマンゾンなどの未開の土地に生えている植物のうち、
薬に使えそうなものを現地の先住民などに尋ねて、
代々薬として用いられてきたものを改めて検討材料として、
それを薬として大量生産できないかを検討しているのだ。

すでにそういう生物資源を元に作られた薬は存在し、
たとえば、
熱帯の海にいるヤキイモ貝が持つ毒からモルヒネに勝る鎮痛剤が見つかったり、
アフリカ南部に生えているブッシュウィローという木からは、
コンプレタスタチンという抗がん剤が見つかっているという。
この抗がん剤は、腫瘍細胞を特異的に狙って臓器の血管内に入り込み
血流を止めるという作用を起こすという。
特にこの「腫瘍細胞を特異的に狙う」というところと、
「副作用が少ない」というのだから、疑いたくなるくらい画期的だ。


番組では大きく3つのケースについて紹介していて、
どれも、結局は先進国(製薬会社) vs 発展途上国の対立構造が見え、
つまりは「生物資源」をどう扱うか、という
明確な方針・ルールが定まっていないことが原因で起こっている。
そしてその問題は未だに解決していない。


(1)ドイツで大ヒットの風邪薬「ウンカロアボ」の元となっている
「ペラルゴニウム・シドイデスの根」をめぐった論争と社会問題。

(2)「竜の血」と呼ばれる木の樹液からつくられる下痢薬をめぐって
起こった(1)と類似の政治的問題。

(3)画期的なエイズ薬として注目されている「プロストラチン」の元となる
「ママラ」という植物をめぐって起こった新たな問題。


つづく↓

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おっぱい

「おっぱい」とは一体何ぞや、と多くの方は思われたことだろう。
気がふれたわけではない。私はいつだって真面目である。
この「おっぱい」というのは文字通り、
胸についてるあのふたつの乳房のことである。

最近、読んだ本でよくこの文字をみかけたせいか、
とてもおかしな現象が起きたのだ。


最初におっぱいという文字をみかけたのは、
「このライトノベルがすごい!大賞」で特別賞を受賞した
『伝説兄妹』という本を読んだ時だった。
この本では主人公である貧乏学生・柏木が自らを天才詩人と自称し、
くだならくも可笑しい詩を書いているのだが、
作中にでてくる詩の中に、
「OH-PAIPAI伝説」とか「一面のおっぱいぱい~おっぱいぱい伝説2~」
というタイトルの詩が出現し、
これが作品の後半で非常に重要な役割を果たすのであるが、
読んでいる方としては主人公への激しい叱咤と突っ込みをしたり
くだらんと言って読み飛ばすかもしれない、
(わたしも少しクスリと笑ったかもしれない)
その程度のことで、
その本はその後、放ったらかしておいた。


その何日か後、森見登美彦さんの『ペンギン・ハイウェイ』を読んだ。
読後、感動してうちのめされた。(読んでる最中もか)
なんとも自然な形で、日常の中の生命と宇宙を感じさせてくれる本で、
すばらしくなめらかな文体で書かれた物語であった。

語り部である小学四年生のアオヤマ君は、
洞察力があって賢く、様々なことを理論的に考えるのがとても得意なのであるが、
行きつけの歯医者のお姉さんを慕っており、
お姉さんのふたつのふくらみ(おっぱい)のことを
至って真面目に気にかけている。
「おっぱいというものは謎だ」
「なぜ彼女のおっぱいは母のおっぱいとはちがうのだろうか。物体としては同じであるのに」
というようなことを考えているのだ。
それはもう愛嬌のあるユーモアたっぷりな思考であり、
大人の読み手としては何ともほほえましいのである。
そしてリアルな小学生に関しても、
四年くらいにもなれば、もちろん、「おっぱい」のことは気になる年代であるのだろう、
と私もなんとなく頷いたのであった。


私の息子は現在小学四年生である。
近頃は、第二次反抗期のはじまりだろうか、
とにかく、意味もなく不機嫌な場面も度々出てくるようになった。
お母さんとしてはどういう態度をとっていいものか、悩みの種である。
ソウタは私がほったらかしておいた『伝説兄妹』を読み始めた。
私は特にそれについて気にかけることもなかったのだが、
何日か後に「おもしろかった」と言っていつの間にか読破していたのだった。


ある日のこと。
いつものように図書館でいくつかの本を物色し、
パパもソウタも長椅子のある場所に借りたい本をまとめて用意し、
本がつみあがったところで私が窓口に持って行き借りているのだが、
奇妙なタイトルが目に入った。

『おかあさんのおっぱい』

ホ・ウンミ(文)、ユン・ミスク(絵)、おおたけきよみ(訳)
の光村教育図書の絵本である。

様々な動物のおっぱいがそれぞれ特徴的・機能的な位置につけられていること、
人間のおっぱいもおなじであり、すごい力があるんだよ、
というようなことが、
クレヨンで塗られたような色調の絵と短い文で書かれていた。

へーこんなの借りるんだ。
何?ペンギン・ハイウェイのアオヤマ君じゃないけど
ソウタもおっぱいに興味あるわけ?

家に帰ってから、ソウタに
「なんでこの絵本借りたの?」
と聞いてみたところ、
「そんなの借りてないよ」と一蹴。
「じゃ、なんで借りる本の所にあったわけ?」
「しらないよ」
「じゃぁ、誰かが置いた本もってきちゃったってこと?」

その後、この本はソウタが借りた本ではないという主張により
それを信じることにしたのだったが。
やはり奇妙なのであった。

なぜおっぱい・・・

ソウタも笑っていたのである。


おじいちゃんの日記

お盆に実家に帰らなかった私は一カ月遅れの墓参りに行くため、
すっかり涼しくなったある日の日曜日に祖母の家を訪ねた。

広々とした一軒家にひとりっきりで住んでいる祖母は思っていたよりも元気そうで、
段々になっている畑では耕運機に乗って土を耕している伯父さんが見えた。
いつもの居間で何をするわけでもなく、
窓から入ってくる心地よい風にあたりながら、母が出してくれたお茶とかを飲んで、
近くで採れたという梨をシャリシャリかじっていたら、
おばあちゃんが
「おじいちゃんの形見に何か上げようか」と言った。

居間にはテレビと応接セットみたいなソファーとテーブル、
それから本棚があって、
十数年変わり映えのない埃のかぶった本の残骸を見て、
かつて私が、物置小屋からひっぱり出したおじいちゃんの日記のことを思い出した。
そして、当時、家に持ち帰りたいと言って断られたことを話した。

母はその本棚から緑色の汚れたノートを取り出してきて
「これでしょ?」と言った。
おそらく1冊500ページはある本のような分厚いノート。
紙はすべて茶色に変色し、ざらざらとした手触りでページをめくると
埃が舞うような代物だ。
表紙には何も書いていないが、中表紙には黒の筆ペンで
『昭和十八年度 日記 人間錬成 学問追究』とあり、
一センチ間隔で引いてある縦線の中に、
最初のページの一行目は「一月一日 曇」で始まっている。
日付は十二月三十一日まで続いており、一日約一ページのペースでそれは書かれ、
最終頁には次の年明けに、その年の「回顧」と称して一年間のまとめが
数ページに渡って書かれている。

ひっぱり出してきたのは昭和十九年から二十二年までの三冊。
おじいちゃんが二十代後半の頃の日記だ。
記憶をたぐると元の物置小屋にはもっとたくさんの日記があったような気がするけど、
おそらく私は終戦頃はどんな生活を送っていたのか知りたくて、
わざわざその年を選んで持ってきたような気がする。

しかしながら、祖父亡き今、これをもらうのは悪いなという気がして、
「いいよ、いらないよ」と遠慮していたのだったが、
母と祖母は、おじいちゃんのその日記をめくりながら、
時々貼ってある新聞の切り抜きの記事なんかを眺めつつ、
何だか楽しそうに「へー」とか言っているものだから、
おじいちゃんに悪いなという気持がどこかに吹っ飛んでしまい、
一緒になってその当時の新聞の切り抜きを見た。

切り抜きの多くはニュースではなく「社説」や
「国民座右銘」という小さい記事であり、
日記の内容も当時の戦争に対する意見とかではなく、
日々の出来事や心の揺れ、
自分を高めるための言葉や格言が書かれているのだ。

おばあちゃんが「持っていきなよ」と言ってくれたので
結局、私はありがたくそれを拝借することにした。
(ネクタイピンとかをもらうよりはずっとこっちの方がいいだろう)
そして、更に欲張って、数センチの埃をまとって数十年放置されていた
『日本の文学 小林秀雄』と『ロシア文学全集Ⅰ ドストエフスキー罪と罰』も
一緒に頂くことにした。
(これも眠っているよりかはずっといいだろう)

肝心のおじいちゃんの日記は、
はっきり言って達筆すぎて実はちゃんと読むことができない。
かろうじて何とか読めるところだけ拾ってページをめくっていくと、
この頃は学業に目覚め最も意欲的な時期でもあったことがわかる。
彼は大検を受けて大学に入学し、必死になって勉強していた。
何があったのかは定かではないが、“親戚ども”を見返すために、
彼は悔しさをエネルギーに変換して、人間を高めることを目標としていた。

そしてそれをちゃんと実現し、結婚をして家族を持ち、
教育者としての道を歩み始めるのである。
戦争になぜ行かなかったのか(行かなくて良かったのか)
それから、原爆投下のあった昭和二十年に関しては、
四月の下旬から八月の終わりまで日記は一行も書かれていないため
その時、どのように過ごしていたのか、何を思っていたのかはわからない。
(あまり戦争のことについては書かれていない)

おじいちゃんは、厳格、頑固な教育者であった。
自分のこどもだけでは飽き足らず、私の進路にも度々口を出し、
両親よりも強面で私を脅す、手ごわい相手であった。
よってかつての私が主張する戯言など彼には到底及ばず、
貧乏だが自由と夢のマンガ家生活はいとも簡単に壊されたのだった。

大学に行かなければ、学歴がなければ周りから馬鹿にされる。
そう切実に感じていた彼にとって、学歴は絶対的価値だったのだと思う。
もちろん、そんな事は少女の頃の私にはわからなかったが、
今なら理解できる。

この日記はとりあえず、天気のいい日にベランダにでも出して、
カビだらけの紙を何とか見れるようなものにでもしよう。
それから、また気が向いたときにでもめくることにしよう。


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