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足立の花火

毎日熱くてホントしんどい。全然いろいろ全然進んでない。
冷房のある場所でいつも本のページばかりがめくられる。

でもきょうは朝から雨模様でパラパラと小雨に強風。
いつもより涼しい一日だった。

朝からソウタの読書感想文を書くのに付き合ってやる。
昨日図書館で少しだけ取り組ませたのに、全然進んでない。
自分のことは棚にあげてね。
ガミガミ言いながら、ようやく完成した読書感想文から解放されて
ふたりは荒川まで花火を見に行った。
雨は気にならない程度に降り、帽子が吹き飛びそうなほどの強風の中、
荒川河川敷では大きな花火が上がった。

これは、花火を見ていた人を後ろから撮ったショット。
何だか風情ある絵になったので気に入った。

PO20100729_0007_013.jpg

花火を撮るのってすごい難しくて、
どうやったら上手に撮れるのか知らない。
これは、カメラに内臓されている「花火モード」で撮った写真。

PO20100729_0015_013.jpg

これはオートで撮った写真。↓
花火モードで撮った方が露光時間が長くて上のような光が伸びた写真になる。

PO20100729_0031_013.jpg

たくさん人が来てた。
河川敷の斜面を登って下を見下ろした時、まさかこんなに人が詰まっているとは
思わなかった。雨なのにすごい人。帰りも大変だった。

PO20100729_0012_013.jpg

あ。また雨が降り出した。

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OK Go

Twitterでアメリカのロックバンド「OK Go」という素敵な音楽家を知った。
村上隆氏が、知らなかったのを恥だと言ったように、
それくらい芸術的なビデオをつくっていて、
わたしは一目見ただけで心を奪われてしまった。

この「End Love」のビデオは、撮影した映像の速度を変化させながら、
音楽と合うように編集していて、丸一日がかかりで撮影していることは
ビデオを見ているとわかる。
再生速度を変えて見せるこう言ったビデオのことを
「タイムラプス・ダンス・ビデオ」というらしい。
OK Goの最新MV「End Love」 撮影方法が明らかに!White-screen.jpより)



始まりから終わりに向かって、
盛り上がっていく感じとか、変な動きを格好良くみせてしまうダンスとか
意表をつかせるような驚きに満ちていて、
気が付いたら、何度も再生してしまう。



このビデオも、最初はピタゴラスイッチのような感じで始まるけど、
少しずつ、その連鎖の激しさというか、崩壊的なアクションが盛り上がって行く感じがとてもよい。




他にも「A Million Ways」や「Here It Gose Again」
の魅せられるダンスとか、
「Do What You Whant」とかもいいわあ。
すっかり虜。

田中帽子店

母から「麦わら帽子の工場に行きたい」というメールが送られてきた。

何事かと尋ねれば、今年はワンピースに麦わら帽子が流行りらしい、という話で、
「ワンピース」と「麦わら」と言えば、ジャンプのルフィしか思い浮かばなかったが、
とりあえず、世間では本当に、カンカン帽が女性の間で流行していることらしいことを確認した。

たまたまつけたテレビで、
埼玉県の麦わら帽子をつくっている会社が紹介されていたらしく、
調べろというので、仕方がなく検索を開始し、
春日部市の田中帽子店というのを見つけた。

見つけた電話番号は現在使われていなくて、
市役所経由でわざわざ電話して確認したところ、
UKプランニングという社名に変更したそうだった。

母は「明日行くから」と言って、本当にやってきた。
春日部市赤沼1347番地というところは、
最寄駅なんてものはなく、車で向かった。
畑と住宅が交互に並ぶような場所。
とても目に着くようなところではなく、普通の一軒家の隣に田中帽子店はあった。

中に入るとあらゆる場所に麦わら帽子の山。

田中帽子店中1

子供連れのお客さんもいて、購入できる。
「工場」兼「お店」。

田中帽子店中2

ちょっと奥に行くと、年代モノのミシンが数台ならぶ作業台があり、
おばさん2人が作業をしていた。

母は自宅から二時間かけて電車に乗ってやってきて、
そこから車でさらに一時間半(ちょこっと渋滞した)かけてやってきたこともあって、
店内を一時間もかけて、麦わら帽子を物色した。

わたしも手当たり次第に面白い形や色の、様々な帽子を手にとってはかぶってみて、
こんなに種類があったのかと、おどろいた。

帽子に値札がついてなくて、
社長らしき田中さんのつける「お値段」で決まっているっぽい(笑)
値段云々ではなく、リボンとか独自のデザインも自由がきいて、
アレンジを可能にしてくれるところが、何とも素敵である。

滑り止めを縫ってもらう

これは、ソウタが気に入って一つしか残っていなかった型の
黒い麦わら帽子。
内側の滑り止めをつけてくれているところ。
あまりに似合いすぎて、周りの人に「おっさんの帽子なのにすごい似合うな」と絶賛されていた。

黒の麦わら

さて、どこにかぶっていこうかね。
紳士君。

大阪から来たというディレクターの人がいて、
取材の打ち合わせなどをしていた。
今年は6月に桃色のカンカン帽子を嫌というほどつくったというほど、
たくさん出荷されたという。
誰が仕掛けたのか、空前の麦わらブーム!

母は2歳の孫の分と、自分用とお店飾る用で四つ。
わたしとソウタの分の二つの計六つの麦わら帽子を破格で購入。

買いすぎだろ。。。

夏休みへの意気込み

小学校はあとは終業式を残すのみで、すでに三連休真っ盛り、梅雨もあけたし、
40日間の長い夏休みへの突入だ。

きょうなんか、もう本当に暑くて、2時間日射しに当たってただけで、
寝不足だし、立ちくらみだし、ダウンした。
すっかりもやしっ子となってしまった。

小学生にとっては「わーい、夏休みだ」の長期休みも
小学生のいる働いているオトナにとっては
「夏休みなんかもっと短くていいよ!」とみんな思っているはずである。
親にとっては、子供にどうやって夏休みを過ごさせるか、は結構な難題なのである。

会社勤めを放棄したわたしにとっては、
夏休みー!と言われても、「えー暑いーだるいー」であって、
目的の執筆活動にどれだけ闘志を燃やせるかが最大の難所である。
(本当は時期関係ないけど)

仕事がなくてもっともつらくくるしいことは、
働いたという解放感を味わえないことである。

毎日が日曜日なんて全然自由=開放的ではなく、この制限のない感じが
メリハリというものをもたらさず、もやもやとした躁鬱感を生みだし、
精神的な縛りを身体に与えるのである。

だから時々ものすごく、仕事をしたい、仕事をさせろ!という恐ろしいほどの衝動に駆られ、
メリハリつけるために、多少、働いた方がいろんな面で自分にメリットをもたらすだろう
とか何とか理由をつけて、
仕事を(ここでいう仕事とは給与が支払われるべき普通の、一般のなんらかしらの作業である)
探すものの、思い描くような都合のいい仕事が見つかるわけでもなく、
結局、最終的には、働きはじめたら、また120%の力出すことになり、
書くのがおろそかになっている自分を想像して、
「そんな暇があるなら、書け!現実から目をそらすな」と一喝して終わるのである。
そんな堂々巡り。

わたしの親は父母の二人とも根っからの貧乏性とも言うべき
働き蜂人間で、働いていないと死んでしまう、というくらい仕事、
ワーキングが大好きなので、そういう星の元で生まれたわたしもやっぱり
社会的ワーキングをしていないと、だめなようで、
それをぶちこわすべく、戦っている。
想像。妄想。ひたすら乱書。視聴。そして観賞。
遊んでいるようにしか見えないかもしれないけど(遊んでたりするけど)
ただ、ボーっとしてるだけのようにしかみえないかもしれないけど(本当に放心している時もあるけど)
戦っているのであって、断じて遊んでいるわけではないことを留意してもらいたい。
そして、本当に遊んでいるのを発見した場合は、
どうか、一発殴って渇を入れ、目を覚まさせてください。

想像しているものを書き起こしていってうまく行った時、
はじめて、ようやく私にも解放感が訪れるのである。

夏が終わるまでには、何とかそれを形にしたい。
夏休みの宿題。
素敵な夏の思い出できるかなぁ(遠い目)


<夏休みイベント備忘録>

東京都現代美術館
「借りぐらしのアリエッティ×種田陽平」展
「こどものにわ」

森美術館
「ネイチャー・センス」展

森アーツセンターギャラリー
「地球最古の恐竜」展

日本科学未来館
大型映像作品「Young Alive!~iPS細胞がひらく未来~」

瀬戸内国際芸術祭2010
http://setouchi-artfest.jp/

小さいおうち

中島京子「小さいおうち」を読んだ。
ニュースで直木賞候補に挙がっているのを知って図書館でいちばんのりで借りてきた。
まだ誰も開いてないような新しさだった。
ついには受賞をしてしまったので、図書館の予約がいきなり12人に増えていた。

この本は米寿を迎えたタキばあちゃんが、若い頃、
女中奉公をして暮らしていた戦前から戦中までの、平井家の生活を丁寧につづった物語である。

小さなおうち


その文体のあまりの丁寧さに、昭和初期の東京の暮らしが本当はどうたったか、
そんなバックグラウンドはなくとも、小説中にさりげなく差し込まれる当時の文化、庶民の暮らしぶり、考え方なんかが、やさしく書かれていて、物語は淡々と、
それこそ特別なことは何も起きたりしないが、するすると読めてしまう。

すごい。これを書き手の方から考えてみると、知識や情報をこんなにもリアルに想像し
造形していくさまが圧巻としかいいようがない。


「小さいおうち」は赤い三角屋根の洋館で、
タキさんが、奉公した平井家そのものを表わしている。
このうちには、若くて美人な時子さんと、
玩具会社の常務になる旦那さん、そして、時子さんの連れ子である恭一君の三人家族に
少女のタキさんが住んでいて、
タキさんの視点から、平井家の人々は明るく描かれ、
どんな家庭でも起こりうる様なちょっとした事件があったりして、
戦前から戦後へと一つずつ周囲の環境が変わって行き、
そこに住む人も少しずつ変わっていく様子が描かれている。

小説は、タキさんの過去を振り返りつつも、現代での甥っ子とのやりとりが挿入され、
最終章にはその甥っ子による「種明かし」が行われる。
何を種明かしするのか、別段取りたてて特別な「謎」があるわけではないのだが、
最後まで読むと、何ともいえない気持ちになるのである。

そして、もう一度、最初からページをめくり、
人の気持ちというものが、こうも内包的なものであり、
ひっそりと、ひときわ美しく、そして、これほど誰かの気持ちを強く揺れ動かすものはない、
と想い、ドキドキした。

わたしは、ふと、生前、おじいちゃんの家で、彼の若いころの日記を
見つけて、勝手に読み、それが祖父に見つかって、
「もっと読みたい。これ欲しい」とねだったが、
「ダメ」とキッパリ断られたことを、急に思い出した。

あの日記はいまはどこに行ってしまったのだろう。
まだあるなら、もう一度だけ読ませてくれないかな、と思った。

9歳の少年

自分が小学三年とか四年の頃、何をしていたか、
思い出せることといったらかなり断片的なものしかない。
毎日何をし、何を感じ、何を考えながら、生きていたか思い出すことはあやうい。

よく思い出すのは、宿題だった日記の一部を父親に修正してもらったら、
先生にべた褒めされて当惑したことや、
教室で二人組をつくらされる時に、誰と組んでいいかわからず、
教室の嫌われ者といつもペアを組まされていたことくらいだ。

小学三年とか四年(9歳とか10歳)というのは、小学校の中でもかなり変化の激しい年代らしい。
三年になった時、担任教師がしきりに、「この時期は大切・・・」と言っていたが
大切じゃない時期なんてあるのか。
こどもの成長なんて、ひとつクリアしても、また次の新たな問題が常に発生し続けるのだから。

低学年の頃は、幼児を抜けて少年少女らしくなったと思っていても、
小学校世界では、まだまだあどけない「お子様」である。
親や先生が言うことはとりあえず聞かなきゃという、素直な気持ちを持っている。

だけど、三年くらいになってくると、身体もぐっと大きくなってきて、
精神的にも大人の言っている発言に「疑問」を持ち始めたりして、
いろんな味方ができるようになってきている。
物事には「裏」があることを知ったり、斜めに構えたりして、
ささいなことに敏感になっている。

たとえば、こっちが怒らせるつもりは全くなく、業務的に「宿題は?」なんて言ったら大変である。
「そんなことわかってんだよ!!」と大声で怒鳴られるのである。
なんだ、このありがちなシチュエーション(笑)

自分だってよく親に「勉強しろ」を連呼されて、何本血管をぶち切ったことか。
それを思い出せば簡単なことだが、
子供心には「もっと俺を信用してくれよ!」と彼は言っているのである。
つまり、もう自分はある程度、大人になったと自覚していて(実際にはオトナになってないけど)
その成長途中だから、放っておいてくれ、ということなんだと思った。

わたしは殆どというか、もう全然面倒はみていない。
好奇心で、どんな勉強をしているのか、ときどき尋ねるだけだ。
つい会話が少ないから、業務確認をしてしまうことがあるが、もうしない。

学校から帰宅した少年は比較的元気な感じで「ただいまー」と帰ってくる。
家に着くと、鞄の中身などを出し、給食用の箸を流しに持ってきて、
手を洗って、冷蔵庫から勝手に飲み物を出して飲み、
本棚を物色して、少年漫画を読む。(最近はひたすらワンピース)
時に、帰ってきてから友達のところに行くと言って、勝手に出ていく。
時に、習い事がある場合は、自分でその時間まで時間をつぶし、時間になると出ていく。
時間つぶしは主に読書かブロックいじりである。

読書を中断する場合は、ちゃんと「しおり」を使わないと気が済まない性分らしく、
ちかくに「しおり」がない場合は、手当たりしだいに近くのものを「しおり」代わりにして使う。
たとえば、ものさし、とか、別の本とか。
だけど本にテレビのリモコンを挟むのはやめてくれ。

おとなになった分、幼児の頃の斬新な発想とかはない。
だけど、時々、恐ろしいほどの想像力を発揮することや、
(本やアニメに出てくる武器やキャラクターなどをブロックで作ったり、既存のものを応用して独自の想像を編み出したりする)
わたしが何気にとりとめもなくしゃべっている言葉なんかをいちいち、記憶していて、
「これ読んで」と書いた小説を読んでもらうと、
一著前に「この主人公の弱いところは何?」なんて質問してくる。

スーパーの入口に七夕の短冊が飾られていて、それをなんとなく眺めていたら、
「はやく大人になりたい」という文字が目についた。
これを書いた少年がどうしてそう思ったのか、
何だかその札を読んで、ちょっと悲しい気分になったりしたのだが、

ふと隣にいる9歳の少年に「はやく大人になりたいと思う?」と聞いてみた。
すると彼は、
「ううん。子供の方がいいよ」と満面の笑みで答えた。
わたしは返す言葉を失った。

くそ―!悔しい!わたしも子供に戻れるなら、戻ってやる!
少年よ、少年時代を謳歌したまえ。。。
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