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お葬式

口蹄疫のニュースが新聞を飾り始めたころ、
元いた会社の上司が「畜産系だ!畜産を攻めろ」とか言っていそうな気がしてならなかった。
去年からだけど、こんなにも「感染症」が社会で話題になる機会が増えるとは思ってもみなかった。
これからもずっとヒトの天敵はウィルスであり続けるだろう。
ニュースはいつも斜め読みだけど「牛や豚を大量に処分するのが可哀そう」っていうのは
どうなんだ?と思ってしまう。
食べるために生きている牛や豚をいつも無条件で殺してるじゃないか。
数の問題じゃないよ。
もし、人の心が痛むなら、お葬式でもやったらいいんじゃないか。
と思った。



電話があったのは、運動会の日の朝だった。
受話器の向こう側で「おじいちゃん亡くなったから」と母は言った。
何だか母の声は、訃報を伝えている割には何だか楽しそうな感じがして、
私は顔の筋肉がおかしくなるのをこらえて、真剣な顔をつくった。

いつかこんな日が来るんじゃないかって思っていた。
だから、その期待してた悲劇が本当に訪れた時、人は悲しむとかよりも先に
「予想していた通りになった」ってことに可笑しさを感じてしまうのかもしれない。

夏の日差しに照らされた小学校の校庭で汗と砂にまみれた運動会を終えて、
二時間かけて実家に帰った。
ゆらゆら揺れる電車の中で、私はありがちな後悔をしていた。
前の休みの時に会いに行けば良かった…と。

車で迎えに来てくれた母はやっぱり、なんかイベントごとがある時みたいな顔をしていた。
十何年ぶりに再会したいとこ。
遠くて近い親戚の人たち。
昔はよくお正月に集まっていたけれど、もうそれもなくなってしまった。
何か私にできることはあるだろうか?おばあちゃんはどうだろう。
仲が悪い伯父さんと叔父さんは?
何があったのか知らないが、この親族を避けていたお父さんは?
おじいちゃんは棺の中に入っていて、もう亡くなったのだという実感は湧かなかった。

通夜が終わって、
おじいちゃんの亡くなった時のことを、
「息してない!死んだ!」
というぶっきらぼうな連絡が来たという話題で笑いが起こり、伯父さん達は談笑していた。
そんな明るい通夜だったのだ。

でも、次の日は雨が降って、
天気と同じくらい参列者はどんよりしていて、
笑っていた伯父さん、伯母さん達も、
棺を開けたおじいちゃんの顔を見た時は、涙をこぼしていた。
自分の忙しさを理由に顔すら全然見せていなかったいとこ達ですら、号泣していた。
私はそんな風に泣くのは、間違っていないか?と思った。
伯父さん達「子供」にとっては「親」がなくなったわけだから、泣きたい気持ちはわかる。
だけど、いとこ達にとっては、ずっと会ってもいなかった祖父じゃないか。

おじいちゃんが亡くなったのは悲しいことだけど、
大往生じゃないか。
ちゃんと人生を全うして、93歳まで生きて、
これだけ子供を立派に育てたわけだから、そこで何故孫が泣く必要がある!
死ぬっていう人の中にある感覚が、現実として突きつけられた時、
人は無条件で悲しみを感じるのだろうか。
それとも、これは「死」に対する人間の恐怖じゃなかろうか。

おじいちゃんは、最後の最後まで伯父さんに「早く来い!」と呼び寄せておいて
来たら来たで「なんで来た!」と罵倒し怒り、わがままを言っていたという。
でも最後は眠るように亡くなってしまった。
おじいちゃんはベッドの上であっても
子供達に対してはずっと威厳を保っていたかったのだろうと思うと、
自分と戦っていたおじいちゃんに私は「おつかれさま」を送りたい。

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行きあたりばったりの野尻湖

Twitterばっかりやっていて、ブログを書かなくなりそうなので、
こっちもがんばって更新。。。

大体、どこ行ってもわたしはやっぱり行きあたりばったりってのがいい。
突然思いついた行動ができる自由がうれしい。

野尻湖に行ってみたのだ。
特に行きたかったわけではないのだが、
まぁ特に他に行きたいところがあったわけでもなかったので、とりあえず行ってみた。

これは野尻湖に浮かぶ「琵琶島」

琵琶島

スワンとか遊覧船とかもあるんだけどね、
手漕ぎボートっていう一番安上がりで労力を使う方法を選んで、せっせと漕いで行ってみた。
直線距離だったら、10分強くらいだったかな。
ここには神社があって、島全体が琵琶みたいな形をしているから、琵琶島っていうらしい。

野尻湖は「ナウマンゾウ」の化石が出土するということで有名な場所で、
湖のそばには、ナウマンゾウ博物館ってのがある。

ナウマン象

写真は、博物館に入ってすぐに飾られている、実物大の復元像だそうで、
牙から尾までの長さ6メートル、肩までの高さ約2.8mだそうだ。
中はシンプルなつくりで、歴史とか、化石とか、ちょっとした体験コーナーがあったりする。

これは頭部の化石。

ナウマン象の頭部

とにかく、化石は何と言ってもナウマンゾウの歯ですよ、「歯」!
これがたくさん展示されているんだけど、気持ち悪かった。。。
“ひだ”があるものは、基本ダメなんだよね。苦手だ。。。(泣)
鳥肌が立つ。トラウマのアレを連想するから。。。だから、写真なし!

「ナウマンゾウ」はドイツの学者「ナウマン」先生が発見したから、「ナウマンゾウ」だそうだ。
そのまんまだろ!

あっという間に見るところがなくなってしまったので、
他の場所に移動。。。

観光地と行ったらソフトクリーム。
食べましたよ。バニラのソフト。ご当地ものじゃなくて。どこでもバニラ。

計画性は全くないので、地図を見て、目に止まった「信州打刃物の里」の方向へ車を走らせた。
そこで入った、刃物屋さんの店内。

刃物屋さん

いやはや、年期が入ってますなぁ。
肝心の「刃物」の方は、何だか見ているだけで怖くなってきたので、
骨董品の方ばかりに目をやると、1000円のテレビが売られていた。

1000円テレビ

かなり巨大なテレビで、「台つき」と書いてあるが、
テレビ台はテレビと一体化していて、はずせそうにない。
1000円という、大胆不敵な値段の付け方をした人に拍手。。。w

そして最後は義母の兄の家で代々育てているというサクランボ。
初めて自家製のハウスでサクランボ狩りを体験。

サクランボ

赤い。そして、甘い。おいしい。
ハウスの中の温かさも心地よい。
実はここはマンガ家・宮島さんのおうちなのだが、
一度も会ったことがないから、是非一度お目にかかりたいです~。。。
なんて、こんなところに書いてもしょうがないか。。。

吉見百穴

車に乗るのはあまり好きじゃない。特に長距離。
普通道路だと信号で止まったり走ったり曲がったりで酔うし、
高速に乗ったら乗ったで暇すぎて時間がもったいないとか思ってしまう。
でも電車みたいに読書などしようものなら、再び気持ち悪くなること間違いなしだ。
そんなんだから、ゴールド免許になってしまうわけだが、
それでも、ゴールデンウィークは帰省ラッシュやUターンラッシュをうまくかわしつつ巻き込まれつつ、孫見せ活動に出向いたのだけど、
途中、一度は行きたいと思っていた場所、
埼玉県比企郡吉見町にある「吉見百穴」に寄ってみた。

埼玉郷土かるたにも『百穴の自然の宝庫ひかり苔』っていう札があって、
百個の穴ってどんなのか見てみたい!と常々思っていたのだ。

ま、実際はこんな感じで小高い丘のような山に穴が開いていて。。。

百穴_02

明治頃はこの穴をコロボックル人(土蜘蛛人)の住居だという説が流れていたらしく、
その後、大正時代の再調査で、穴は「お墓」だったということになり、
結局今も「墓穴」が定説みたいだ。

穴の中には、こんな感じで文字が書かれていたり、
もしくは石の棺桶のようなものが置かれていたり、何も入っていなかったりして、
大きさもまちまち。ちょっと怖い。
「入れば?」とソウタに言ってみたけど、怖気づいてたね。

百穴の中の文字

岩山の中にはかなり大きな空洞が開けられていて、
これは、戦時中に軍需用として掘られたもので、
当時の中島飛行機株式会社のエンジン製造部門の人々がここで働いていたという。

地下軍需工場跡

掘削作業は三千人ほどの朝鮮人労働者を使って掘られていたと書かれており、
その人海戦術で行われた工事現場を想像するだけでも、身の毛がよだってしまう。

そして、横穴の最低部には「ヒカリゴケ」がちゃんと生えていた。
薄暗い穴の中で、ほんのり緑色に光るヒカリゴケは、
百穴の雰囲気と同じくらい妖艶であった。

ヒカリゴケ

敷地内には、一般の人が埴輪や勾玉を作ることのできるスペースがあって、
私たちは2時間弱ほどかけて、
マヌケな顔をした埴輪(500円)と、琥珀を削って勾玉(350円)を製作した。

勾玉

埴輪

猫みたい。。。
だけど焼きあがるの楽しみ。。。

四角い箱に住んで

世の中は連休に突入。多くの人は帰省している頃だろうか。
手土産を買って、車か電車かあるいは飛行機で、思い思いの場所へ向かう。

そして私もまた祖母と祖父の顔を見るために車ででかけたのだ。

GW初日の割には道が空いていて、予想外にも早くついてしまったため、
心の準備もままならぬまま、意味のない緊張をしていたわけだけれど、
そんなことを考えていたことが馬鹿みたいに思えるほど、
祖母や叔母達は、十年ぶりの再会にも関わらず、
ものすごく普通に、もうよく知った顔だというような感じで、
受け入れてくれて、そして、
私は、あっという間にその世界に溶け込んでしまった。


95歳のおじいちゃんは、予想をはるかに超えて、いつもの感じでしゃべりだし、
そして、やっぱり変わらぬおばあちゃんと叔父叔母らと一緒に、
お寿司を食べたりしたわけだけど、
道の話とか、仕事の話とか、お父さんがどうしたとか、お母さんがどうしたとか、
そういうなんでもない話をして、
それで、おじいちゃんは少年時代に汽車に乗って煙を吸いながら
にぎり飯を食べた話とかをして、
90年前がどうだとかいう話をして、
おいおい、90年前ってどのくらい前だよ、どんだけ昔だよ、覚えてるのかなとか
思いつつもそれは喉の奥にしまいこんで、うんうんと頷いていたわけだけど、
私はおじいちゃんを見ながらお父さんのしゃべり方を思い出し、
叔父さんの顔を見ながらお父さんの顔を思い出し、
叔母さんはいつものように、お父さんをユーモラスのある人とよくほめていて、
おばあちゃんはいつものように可愛らしく笑うのだった。
その光景は、午後の光があまりに陽気で、何だかとても穏やかだった。

本当に陽が温かくて、ポカポカしていて、
窓から入ってくる光が黄色に輝いていて、食卓に座っている全員の顔が明るく見えた。


叔父さんと義叔母さんがおじいちゃんの実家に行くと出て行ってから数時間後、
山に生えていたのをそのまま持ってきたようなタケノコをいきなり、
「茹でててあるから」
と言って、ビニール袋に入った状態で私に手渡した。
それはズシリと重く、こんなの食べきれるだろうかと不安になったわけだけれど、
庭に置かれた、悠然としたタケノコ達を見たら、
思わず写真を撮りたくなった。

タケノコ


ああ、これはタケノコの横にあったフナ。
蓋を開けた瞬間に一匹がはねてびっくりしたわけだけど。

フナ

義叔母さんは、庭に生えているミカンや柿の木、四季折々の野菜や花たちの話をした。
それから、いかにも、「これが田舎の暮らしよ」と誇らしげに言った。
それはある意味、都会の四角い箱の中の暮らしを否定していたわけだけど


結局、私はこの四角い箱に戻る。
自分もまさかこんな蜂の巣みたいな家に住むとは予想していなかったわけだけど、
もらったタケノコは自分の家で、おいしく、夕食でいただいたわけだ。

タケノコを箸でつまんでいる間、
叔母が「来てくれてありがとう」と何度も言っていたことを思い出し、
それから「がんばって」と言ってもらったことを思い出し、
がんばらないといけないな、と思うのだった。

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