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図工の時間はどんどん減っていく

絵を載せるのは久しぶりだ。

小学校は春休みに突入。学校からもちかえってきた図工の時間に書いた絵と、
去年、美術教室で描いたアクリル画を披露。

いろんなかたち

≪いろいろなかたち≫
この絵は少し長細い画用紙に描かれていておもしろい柄。
私はこのYとXが染色体を意味しているように見えて仕方がない。渦巻きもいい。

鉛筆

≪鉛筆電車≫
小学生っぽい発想。
世界の中でたったひとつしかない電車を描けというお題で描いたらしい。
鉛筆にちゃんと、6Bとか、HBとか描いてあるところがいいね。

獅子舞

≪大獅子≫
神社での伝統行事を見学しに行ったらしい。

暗闇の世界

≪暗闇の世界≫
どこが暗闇なんだか…と思ったが、コオモリがいるじゃないか、と反論された。
やけに明るいポップなクラヤミ。

海牛

≪海牛≫
美術教室で恒例の展覧会に出品したアクリル画。
木枠もお手製。なぜ海牛なんて気持ちの悪いものを…というと「かわいいじゃん」のひとこと。
どこがかわいいんだーー!!
先生はしきりにテトラポットをほめていた。

東京の街に雷が降る

≪東京の街に雷が降る≫

天気を描く、というお題で描いたらしい。
素敵な街だわ。ファンタジーみたい。

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叔母さんからの手紙

アメリカに住んでいる伯母(父の妹)から封書の手紙が届いた。

叔母さんは年末になるといつもクリスマスカードを送ってきてくれて、
それ以外は、何度か時々メールを送ってくれたりして、
多くの場合もちろん英語で送られてくるのだが
今回送られてきた手紙は、日本語で書かれたものだった。

しかも、すごい長い!文章。

きっと私が英語が苦手なのを考慮して日本語で書いてくれたのだ。
内容をきちんと伝えたかったということもあるのかもしれない。

手紙には、彼女の父親、つまり私の祖父のことについて、
その半生を脚本の種にしてほしい、
そのために彼にインタビューしに来てほしい、
というものだった。

ここ数年、叔母さんは頻繁に帰国し、実家を訪れているという話を聞いていたが、
面倒くさがりな私は中々会いに行けないでいた。
この春、再び日本に来るというので、
その時に祖父の家へ来ないかということも書いてあった。

そして、驚いたことに、ブログをたまに読んでいるという事実、
(このブログ、本当に読んでいる人いるのか!)
全然知らなかった祖父の生い立ち、
そして、彼女が今の世代の人は2代も前の人の経験や人生に興味があるかどうか疑問を抱いている、
ということに私は興味を引いた。

おじいちゃん、おばあちゃんがどういう人生を生きてきたのか、
どんな事があって、その時どんな気持ちになったのか、
その延長線上の「今」は何を思って生きているのか、
私は素直に知りたいと思っている。

だけど、それを素直にやったことはない。

ようやくこの歳になって、まともに物事を考えられるようになって、
まじめに人を描こうと思ったら、知らないことだらけで、
それでようやく、歴史や多くの先人達が残してきたものを見るようになって、
身にしみた。(今も身にしみてる)

なんで人間が生きているのか、なんて、歴史の流れを勉強すれば
少し前の私が持っていた答えよりも、もっとまともな考えができたはずなのに、
生物学的意味しか考えてなかった。
(歴史を教わらなかった偏った高校時代の授業を心底恨むさ)

本当はおばあちゃんの家に言って、そうやって話をしたいと思いながら、
でもどこかで、家族に会うのは気恥ずかしい、
どういう顔をして、どういう自分を見せればいいのか、
考え出すと、逃げ腰になってしまう。

結局、自分に自信がなくて、子供ではない醜い私が、
その人の目に濁って映って、否定されるのが怖い。

殆ど顔を会わせず、たとえ、普段他人と同じような存在だったとしても、
どこかで、血のつながった誰か、と思うだけで
その目にみえないつながりが、切れない糸でつながっているみたいで、
時々、それが重く感じる。
でも、その糸を手繰り寄せてみたい、と思うこともある。

私は身内の葬式に一度も出たことがないとても幸福な人間である。
人の死について、まともな衝撃を感じたことがない。
でも、人は必ず死ぬ。もう、どちらの祖父も90を超えている。

まともに顔を見て、話をする自信ははっきり言ってないけれど
生きているうちに話しておかなければ、きっと後悔する。

ここに今、私が生きているのは、彼らのおかげなのだから。。。。

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