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レゴ GINTAMA

ソウタがレゴでこんなものを作った。

銀ちゃんと神楽


答え:
少年ジャンプで人気コミックのキャラクター。

ドット絵に退化した銀時と神楽。


ちゃんと私は生きてます。死んでませんよ、死にそうだけど

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“薄っぺら”の裏には

シナリオセンターではどんな風に授業をしているかっていうと、
段階を踏んでいくつかの講座があるのだが、基礎を教えてくれる講座では、
授業形式とゼミ形式があって、ゼミの方では、
あらかじめ決められた「課題」に従ってシナリオを作成し、所属するクラスで発表する。
発表するときは、自分の書いてきたものを朗読し、
クラスメートはひとことずつ、それについての感想やコメントをする。
もちろん、先生もアドバイスや指摘コメントなどをしてくれる。

でも、ここで自分が一生懸命書いてきたものについて、
予想外の意見やコメントが飛び交うことはよくあることで、
コメントをもらうために、ゼミに行っているわけなんだけど、
この他人の意見って聞くっていうのが、ものすごく難しい。

「コメント」には、様々なものが混在していて、
ただの感想みたいなものもあれば、技術的な指摘もあり、
自分だったらもっとこうする、といった主観的なものもあれば、
作品から連想される様々なこと、全体の総論的なものもあって、

職業も年齢も育った環境も違う人々が、
それぞれの記憶や経験を引っ張り出して、意見を言うわけで
一様にして、同じではない。

直接的な意見以外は、全部間接的なコメントなので、
それを汲み取って、自分の作品の何が問題なのか?は自分で受け止めないといけない。
最初は、それを聞いて、受け止めたようでいても、
本質的なことは、その言葉だけではすぐにはわからない。
どうして、その人がそういうコメントをしたのか、その裏を考えないといけないのだ。

最終的にはその人の人間性というか、人と人との間で交わされる感情の交差や、
その人が何を考えているのか汲み取れる能力っていうのが必要で、
それとは別に、作品の中に人間を書くときに、
その感情の流れを丁寧に表現する技術っていうのが、それぞれ必要なのだ。

私は人間がキライだ。人間は嫌いだけど、人間を書きたいと思っていて
謎だから、不思議だから、知りたいから、人間の感情と戦おうと思っていたにも関わらず、
やっぱり人から逃げていて、本当はどこかで恐いと思っていて、
どんな感情も、“わかってしまう”と自分がどうにかなってしまうのではないか、と思って
常に一歩引いていて、そこに向き合うのはつらい。

最近、テレビなどでは、薄っぺらなドラマが多いとかって指摘されていて、
手っ取り早く、安易な手法で物語を書こうとして嘆かわしい、とかって聞くけれど
いまの現代人を見たら、そうならざるを得ないんじゃないのかな、と思うし、
そうでなくて、ちゃんと感情の機微を見つめて、表現の本質に帰るべきだっていう、
偉い人たちの言うことも、最もだなぁとも思う。

でも、薄っぺらいのでいいよ、っていう気持ちは、恐いってことなのかもしれない。
現実のリアルの方がずっとシリアスで、
もうそんなの、見たくないし、感じたくないよ、っていう
逃避的な感情があって、テレビつけてまでそれを感じたくない。
いつも必死で、立つのもやっとなのに、そんな深刻なこと言われたら、
もう二度と立ち上がれないかもしれないっていう恐怖。

だからこそ、フィクションで
ありえないくらい思いやりに満ちた、理想的な世界を見せられたら、
きっとそれが、今、心に響く物語なんじゃないのかなぁ。

私も人の感情から逃げて、いつも安易な物語を書いてしまう。
だけど、それじゃダメなんだろうな。
人間って暗い生き物だから、つい陰鬱なことばかり考えて、
陰鬱なテーマもたくさんあるけど、やっぱりおもしろくないよ。
影があるからこそ、そこにある光を頑張って探すことが、戦いなのかもしれないね。

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