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肝臓病の「常識」を疑え!

肝臓病の「常識」を疑え! 世界的権威が説く肝臓メンテナンス法 (講談社+α新書 383-1B)肝臓病の「常識」を疑え! 世界的権威が説く肝臓メンテナンス法 (講談社+α新書 383-1B)
(2008/01/24)
高山 忠利

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仕事上、肝臓がんの症例データ120件くらいを整理していると、眺めているだけで明らかな特徴が見えてくる。そのいくつかの謎をすべて解決してくれる本だった。読みやすい。わかりやすい。そして、肝臓に少しでも興味、病気に対する不安がある人は是非読むべきだと思う。

表紙のイラストはC型肝炎ウィルスをイメージしたものである。ウィルスとは、無生物のくせして人間の宿敵、脅威である。C型肝炎ウィルスが発見されたのは1988年。それ以前に、手術など病院で輸血をした可能性のある人は、すぐにでも肝炎の検査を受けるべきだと思う。会社などで毎年定期健診をしていて異常値が出ていないからといって、安心はできない。通常、肝炎の検査項目は健康診断に含まれていないからだ。

薬害C型肝炎の問題もあり、日本に存在するおよそ200万人の感染者を早期発見するためにも検査を全国規模で義務付けるべきじゃないのかと思う。(岐阜や佐賀では無料検査が始まっているようだが)感染していても、2割の人は肝炎→肝硬変→肝癌になるわけではない。症状もでにくく、感染していることに気づいていない人は、悪くなってからじゃないと発覚しない。

データを見ていると、その殆どが感染に気づいておらず、指摘されても放置している人も多い。B型とC型では、C型の方が圧倒的に多く、過去に手術などで輸血を受けている。お酒も煙草も、食事にも気をつけて健康な人でも、何らかの血液感染で発症した人や、ウィルス由来ではない原因不明の人も何割かいる。それでも、殆どはHCVキャリアを持っている人だ。

日本の肝臓治療は世界でもトップレベルで、肝炎ウィルスが最も多いという。三大治療法もすべて日本人が見出したというから感心する。あと10年くらいは、肝臓がんの人は増えていくだろう。そのためにも、早く気づいて、治療・予防ができるといいと思う。

しかし、切除した肝臓部分とは「逆側」に、増えて再生する肝臓が、本当…不思議…。

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わたしいまめまいしたわ

東京国立近代美術館で開催中の『わたしいまめまいしたわ 現代美術における自己と他者』を鑑賞しに行った。

自分とは一体何者か?
自分の目が認識しているこの世界は一体何なのか?
普遍的な問い。その答えは考えれば考えるほどすぐには応えられない。眩暈が起こるような思考を巡らせる羽目になるような問い。

テーマが明確で、5人のキュレーターが8章なる構成で作品を見るようにつくられた展覧会。
印象に残ったものを書いてみる。

第1章「わたしはひとりではない」
梅原龍三郎、岸田劉生、中村彝、藤田嗣治の自画像。
ゲオルク・バゼリッツのさかさまになった自画像、《自画像Ⅰ》
澤田知子の400枚の証明写真、《ID 400》

第2章「アイデンティティの根拠」
河原温《I am still alive》
高松次郎の《木の単体》

第3章「暗い部屋と『わたし』」
山中信夫の《ピンホール・ルーム》
自らの部屋にあるちいさな穴から見た外の世界。穴の先にある光ある景色が異世界のように見える。ファンタジーへの入り口の様。

第4章「揺らぐ身体」
ブリジット・ライリー《讃歌》
草間彌生《天上よりの啓示》、《冥界への道標》

第5章「スフィンクスの問いかけ」
舟越桂、《森に浮くスフィンクス》

第6章「冥界との対話」
ビル・ヴィオラ《追憶の五重奏》

第7章「SELF AND OTHERS」
牛腸茂雄《SELF AND OTHERS》全60点

第8章「『社会と向き合うわたし』を見つめるわたし」
秋山祐徳太子《東京都知事選挙のためのポスター》
キムスージャ《針の女 メキシコ・シティ、カイロ、ラゴス、ロンドン》
高嶺格《God Bless America》

すでに所蔵されているたくさんの現代美術作品の中から、切り口を見出し複数の作品を並べることで、更に別のテーマを訴えるという試みが感じられた。
ただ、各章に儲けられている素敵な文章が日本語のみであったため、かなりの頻度で見かけた海外の人には伝わらなかったのではないかと思うと残念であった。

会期:2008年1月18日(金)~3月9日(日)

テレビドラマ全史

図書館の本棚を眺めていたら、こんな本を見つけた。
テレビドラマ全史』(東京ニュース通信)

1953年から1994までに放送されたテレビドラマのすべてが記載されている。全部で約、総800ページで、辞典と言ってもいい情報量の多さ。最初のページには、大正15年12月25日から始まった、世界初めてのテレビ放送で映し出された「イ」という文字の写真や、同年にNHKが実験放送的に始めた、日本初のテレビドラマ「夕餉前」(ゆうげまえ)の事が書かれている。

登場人物は、母(原泉子)、兄(野々村潔)、妹(関志保子)のわずか3人である。母が持ち帰った写真を、兄と妹はお互いの見合い写真と取り違えるというスケッチ風の喜劇である。戦時色が濃い時代のもとで、父がいない一家の夕食前の一刻をただひたすら描いた。



このドラマはその後のホームドラマの原点となったという。1953年(昭和28年)から約70年の歴史。70年も、というよりかは、70年しか経っていないのかとも思える。

テレビドラマ全史

1年ごとに、その年にブレイクした人気作や話題作が、写真と記事風の説明で掲載されている。政治や事件、スポーツなどのニュースや、ベストセラー、流行語、ヒット曲なども書かれている。すごいのは、放送されたドラマのタイトルだけでなく、放送局、放送日、時間、スタッフ&キャスト、内容の概略までもが、単発ドラマも全て、記載されているところだ。

ぺらぺらと本をめくりながら、放送された内容を眺めていると、ホームドラマや刑事モノ、学園モノ、時代劇などは昔からの繰り返しであり、変っていないことがわかる。例えばホームドラマにしても、視聴者が求める家族愛は変らない。しかし、その基盤となったテーマを映し出す姿は、時代と伴に映り行く家族の形とともに少しずつ変っていっているのがわかる。

お義母がいつものように家事を手伝いに来てくれたとき、この本の存在に気づいた。懐かしそうに、昔見たドラマについて語ってくれた。「ああ、これ見たわ!」「東京オリンピックの年っていつだったかしら」「そうそう、結婚したての頃、毎朝、サインはVを二人で見てから出勤してたのよね」

テレビドラマ全史(中)


自分が生まれる前のドラマは殆どが観たことがないが(あたりまえ?)、面白そうなものがたくさんある。是非、過去の番組も自由に見られるような時代がくることを期待したい。
いっぱい見たいのあるけど、いまは「うちの子にかぎって」が見て見たい…。
この本はすでに絶版(?)なので、売ってない。興味があれば、図書館に行って探してみてね。

朗読会

30分以上自転車をギコギコ漕いで図書館に行った。
道は平らなので、それほど疲れない。寒さで手も顔も冷え込んだところでやっと着いた。

本に囲まれているとなぜか落着く。
たくさんの文字に守られているみたいな温かさ。自らの好奇心を埋めてくれるような錯覚。
歴史、芸術、科学、無数の物語。
インターネットも情報の塊だけど、全然違う。ネットは無限のブラックホールに落ちたみたいに、不安で行き先案内板がない。実態が掴みにくくて迷子になる。図書館に並んでいる本は自分の目と手と足と身体でつかめる。開いて飛び込んでくる情報の把握の仕方とは異なるのだ。

ソウタも勝手にすきな本を取り出してはぺらぺらめくっている。
さて、私も世界に…と思ったところで、見知らぬおばさんに話しかけられた。今から朗読会をやるので、是非参加しないかという。子供向けの本読みをするというのだ。
断る理由がみつからず、「いいですよ」と応えていた。

図書館の小スペースに案内されると、8人の男女、年配の方々。
50代後半くらいの男性が、指揮を取っているのか、説明してくれた。この会は始めてからまだ3回目で、普段は盲目の人に対して本を朗読し、カセットに録音するというボランティアをしているという。でも、単に録音するだけじゃ、面白くないというので、皆で読んだ本を聞きあって、感想を言ったり、こうやって朗読会を開くことにしたという。平日は大人向け小説。休日は、子供向けの本を読むのだという。

読んでくれた話はどれもある程度短いストーリーであったが、トータル1時間以上はかかった。
観客は、私とソウタのみ。後は全員読む人。
唯一の子供、ソウタはみんなの注目の的。優しい目線が周囲から飛んでくる。
すべて、聞き終わるまでじっと、ちゃんと聞いていたソウタが偉いなと、感心してしまった。
途中から入ってきた子供二人は3分しか持たなかった。

昔の怖い話
雪女
北風と太陽
キツネとカラス
きこりと小人
子を産んだおハルギツネ
服を着たゾウ(星新一著)
地元の昔話
ろくべいまってろよ(灰谷健次郎著)
般若の面

雪女の途中、眠ってしまった以外は、聞き入った。
シナリオ聞くのと同じシチュエーション。創造力とイメージを働かせる。
改めて昔話を聞くと、こんな話だったのか、なんて思った。

「どれが面白かった?」
と後でソウタに聞いた。
「どれも、面白かったよ」という。
「今度は是非、読んでね」と言われて、帰ってきた。

昔からある名作、耳から入ってくる物語の世界を実感し、
不思議な世界を体験したことを実感できた時間だった。

アートキッズEXPO 2008

今日、ソウタが、美術教室から『アートキッズEXPO2008』のチラシ&お絵かき招待状を持ち帰ってきた。以前から、2月に上野の森美術館に展示するという、アクリル絵画を描いていたが、やっと詳細がわかったのだ。

こどもアート博 in 上野 
アートキッズEXPO2008
http://news.artkids.jp/expo/expo/
3800人のアートキッズが上野の森に結集!
日時:2008年2月9日(土)~11日(祝) 10:30~15:30(3日間とも)※悪天候の場合は中止。
主催:上野の森美術館、芸術による教育の会

上野の森に展示するのは、第50回「明日の手」美術展というようだ。美術教室の生徒達の作品を展示するようだ。どんな展示になるのか、楽しみ。

イベントも、こどもが楽しめそうな、ロールにお絵描きと工作コーナーは誰でも参加できそうだ。個人的にはアートコミュニケーションという視点がおもしろいな、と思ったのと、カッパキッズという仮想した子供達がいろいろな場所にいるというのも見てみたい。エコバッグも欲しい!

やるべきか、やらざるべきか

毎週火曜23時NHKで放送の「爆笑問題のニッポンの教養」を見る。
この番組の嗜好がとてもイイナと思う。この番組で視聴者に訴えているのは、「教養」と呼んでいる様々な研究(最先端技術など)そのものを理解させるというよりかは、その研究に取り組んでいる「人」の方に注目し、なぜその人がその研究をしたいと思っているか、その研究の「面白さ」は一体どこにあるのか、人なら誰しもふと考えるような「自分という存在の意義」だったり、この「世の中の不思議」であったりすること、を気づかせるような、哲学的なところをアピールしている。
冬に入ってすぐの頃に、いまやっているプロジェクトのアウトリーチ活動(研究を広く一般の広める活動)で、この番組にうちの先生に出てもらおうと企み、知り合いを辿り、NHKに乗り込んでいったが、番組制作の作り手に意見するのは難しかった。テレビで何を放送するかは、自分達の特権だというような、我々が社会を制御しているのだといわんばかりの態度にちょっと切れかかったが、この企画の持込は失敗に終わった。

昨日放送時に、バーチャルリアリティに取り組んでいる舘先生が出ていた。人間を超越するような技術の革新や飛躍というものに対し、、太田が「その技術は、本当にやっていいのか?と自問自答というか、悩んだりしません?」と尋ねていた。それに対して先生は、「人間は生き残るために科学技術を進歩させるんでしょ?やめてもいいけど、それだとある一定のところまではいいけど、それ以上は生き残れなくなる。進歩によって、リスクは高くなるかもしれないけれど、それが生き残るための手段じゃないか」と言っていた。

時々、私も太田さんと同じことを感じる。科学技術とは常に終わりなき進歩をし続けなければいけないのかと。もう十分なんじゃないかと、思うことがある。そもそもこれは本当にやるべきことなのか?やらなくてもいいことなのかもしれない、と悩む。世の中、社会のため、人々の豊かな生活のためとはいいながら、本当にそれが人々の幸せなのか?望んでいることなのかと思えてくる。やらなくてもいいのではないかと。

例えば私が携わっている生命科学では、必ず倫理的な問題がつきまとう。一般の人の多くはバイオテクノロジーの技術を「怖い」とは思っても、「便利なもの」とは思っていない。直接的に、バイオテクノロジーの産物が一般消費者に何かプロダクトを提供するというものはない。(そういうもので何か楽しいものがないかと検討中だけれども)生命科学の研究が、社会に貢献されるべき分野は、いまのところ、医療や医薬、食品であり、それは、いわば「より健康に」「より長生き」し、「病気を撲滅し」、「安全な食品」を食べられるような世界を目指すということになる。

便利で効率的な世界が、人から「何か」を知らない間に奪っていったように、科学技術の進歩は人が本当に望むべき世界なのかどうか不安になる。

私はいま国からもらったお金でデータベースをつくっている。これまでの日本の生命科学分野ではすでに化石化したデータベースを同じく国のお金でたくさん作ってきた。それは、使われない、その場しのぎのデータベース達である。そこには、様々な理由が存在するが、これらを有効活用し研究をより発展させていくために、データベースを「統合する」というプロジェクトが今年度から始まった。しかし、当初の予定よりも予算は削られるという状況に立たされた。
データベースをつくる意義は本当にあるのか?やらなければいけないのか?やらなくてもいいのではないか?やれば「便利になる」「技術は進む」と、やる側は信じている。それを示すしか、方法はないのかもしれない。

やるべきか、やらざるべきか?やってみなければわからないということなのか。だから、やらないで立ち止まるより、やるほうを選ぶのか。

曖昧なレゾリューション

新年明けてしまった。

右足太ももにナイフで突き刺したような三本の傷。痛い。ような気がすると目が覚めた。
二度寝。
何かの懇親会。学会の後にやるような先生方を招待したパーティ。
招待をするために仕事をする私。仕事の面々。過去に出会ったドイツ人の教授。
しばらくしてから、周囲から質問を受け、仕事用のノートを開く。
以前書いた“走り書き”を探す。

バイオインフォマティシャン

システムエンジニア
は違う。

というノートに書いた文字。
ノートに書かれた文字は自分を知らしめるためのメッセージだそうだ。
バイオインフォマティシャンという職業を思い知らせるために2008はあるのかもしれない。
同僚や上司、そして何より自分に思い知らせるためにも。

おみくじは中吉だった。
当たり障りのない文章。何かがあるわけではなさそう。

今日、今年のResolution(決心)は?と英会話の講師に聞かれた。
すぐに応えられず、「英語が流暢に話せるようになりたい」などと当たり障りの無い答え。
他には?と聞かれて、そうだ。I want to get a prize for script writingと応える。
コンクール入賞の目標の前に書かないとどうしようもないけど。とにかく書かないとね。
自分の直属の上司にまでこれをせかされるんだから、困った会社だよ。

1.仕事を今よりもプロフェッショナルにするために勉強する
2.シナリオコンクール入賞

どうやったらやる気がでるか。
どうやったらモチベーションを保っていられるか。これが課題。

試行錯誤の2008年開始だよ。

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