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執筆仕事

自分が書いた原稿がちゃんとした印刷物になるのは(自ら印刷したもの以外)初めてのことなので嬉しい。
その印刷物がついに発行された(分子精神医学 2007年10月号(Vol.7 no.4) 先端医学社)。
他部署の人から、2年ほど前くらいに「雑誌の記事を書いてくれないか」という依頼が来た。
雑誌の記事とは言っても、コンビニとかで売っているような雑誌ではなく、専門的すぎて、関係ない人にはちっとも面白みがないけど…。当初は会社の製品の宣伝効果も兼ねて、などといわれていたが、二年も経てば状況が変わる。
時間も経って知識も古くなっているのを再確認しながら、現在進行形で研究に関わっている人の協力の下、書き上げた。
その方々には感謝をしつつ…個人的にはもっと誰でも読めるものを紙の上に載せてみたいと思うのだった。
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六本木クロッシング2007

六本木クロッシング2007シナリオも書いたことだし、ようやく美術館へ足を運ぶ。
森美術館の『六本木クロッシング2007』へ。
日曜の夕方行ったのだけど、結構人がいて盛況だった。鑑賞者は皆楽しそうに、冒険しているこどもみたいに、ワクワクしている様子が伝わってきた。もちろん、こどもであるソウタも楽しそうだった。
次の部屋は何かな~って期待をもって、次の部屋へ入る。その空間と作品とがマッチしていて、鑑賞者を裏切らない。

“クロッシング”というのは、どうやら、“交差”という意味らしいのだが、何と何の交差なのかというと、おそらく「芸術」という分野と、「従来の芸術と呼ばれていないもの」との交差だと思う。

全36組のアーティスト達の作品が並べられているが、彼らの作品はどれも、他の何かとの“融合”であって、それは故意的に行われたものではなく、作家自信が見つけ出した新しい視点である。

そもそも「芸術作品とは」という定義を考えてみたときに、それまで多くの人が思い描く“芸術”というものがあるだろうけど、現代において、その枠は明確ではない。建築やデザインは芸術の一部となっているとしたら、イラストやマンガは?音楽や映像は?工学や工業物は?という疑問が湧くことになるだろう。

面白かったので、抄録を購入したけれど、いつも思うのだが、抄録に掲載されている写真は実際に展覧会で見た感動のほんの少ししかその感動を保持していない。

人が作品を“観ている”時、かなりたくさんの敏感なセンサーが働いて、あらゆる感覚でそれを観ていることを実感させられる。立体的な作品を立体として捕らえられるすばらしい機能が人間には備わっている。観ただけで、感じる、その触覚、想像物、メッセージ創造することができるのだ。

そう思ったら、やっぱり美術館で展示されている“作品”はあくまで“作品”であって、その枠を超えることはできないんだなと思った。

鑑賞者のアクションを含んだ作品も多々あるけれども、鑑賞者はあくまで「観る」だけであって、「触る」ことはできず、音を「聞く」ことはできるけれども、作り出すことは少なく、「嗅い」や「味」を試すことはできないのだ。もっと、芸術以外の他のジャンルはいっぱいあるわけだから、これからも融合が進むことを期待する。

ネットカフェ難民

すっかり気温も低くなって、日も短くなった。
油断していたら、風邪を引いたようだ。
で、病気を理由に家に籠もりたいなんて考えたりしちゃうんだけど。
明日からまた戦闘開始だよ。
ついこの前なんて、それまで開発してきたものをやっと先生にみてもらうって場面で
小休止しているときに、つい「ネットカフェ難民の自由さっていいですね」なんて暴言を吐いてしまった。ちっとも同意は得られなかったけど(当然だ)。

『ネットカフェ難民 ドキュメント「最底辺生活」』(川崎昌平著、幻冬舎新書)を読んだ。
この作者、『知識無用の芸術鑑賞』の著者でもあって、芸大の先端芸術表現専攻を卒業した人だっていうから、驚いた。え、この「ネットカフェ難民」はこの人だったかって。2006年7月の美術手帖の特集である“2000年代から未来へ向かう日本の新世代アーティスト108人”の中にも掲載されていたから、さらにびっくりだったよ。

ネットカフェ難民―ドキュメント「最底辺生活」 (幻冬舎新書 (か-4-2))ネットカフェ難民―ドキュメント「最底辺生活」 (幻冬舎新書 (か-4-2))
(2007/09)
川崎 昌平

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この本は、ニートだった著者がある日をきっかけに、ネッカフェ難民を始めて、1日から31日までの毎日の日記を綴ったもの。毎日、彼が頭の中で考える思考や行動がつらつら書かれている。それは何というか、なんともない、とくにこれといって何があるわけではない生活なんだけど、読み進めていくと、その姿、その考え方は現代で生きている人間の本物の姿のように思えてきて、その自由さは決して異常なものではない。むしろ、こういう生き方が自然なのかもしれないとも思えてきて、仕事をしていることが偉いわけではない、家に居て、安定した暮らしをするのが正しい道とは決して言えないと感じたのだ。

建設的に生きている彼は、感情の起伏がそれほど激しくない。淡々としているが、本文の中で、一回だけ内心で怒りを見せる場面があるのだが、それがとても可笑しい。ただ歩いていたら、警察に声をかけられて、項番で職務質問を受けるのだけど、その時、対応した警察官が現代美術に詳しくて、自分が現代美術に詳しいことを隠し通してセリフでやりとりしているところが笑えた。

この本そのものが彼の作品、なんじゃないかな。
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