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ハラミュージアムアーク

乳搾り教室育児放棄…、日曜も一人で出かけた。
(言い訳すると、先週末に衝動的にWEBで高速バスの予約をしてしまったのよ) 日帰りで伊香保まで行ってきた。電車で行くよりバスが安い。渋川駅まで往復\3710。

ハラミュージアムアークは、品川にある原美術館の別館で、グリーン牧場の中にある。この牧場がなんとも広大。広い!バーベキューができたり、子供が遊ぶのに楽しいものがたくさん…(やっぱり連れて来ればよかったかな…) 天気が悪い割には、人がいて、特に乳絞り教室がにぎわっていた(左の写真)。乳は絞りは体験してないけど…。乗馬体験とか、400円とか安い!ウサギとか羊とかヤギとかたくさん居る

ハラミュージアムアーク肝心の美術館は一番奥にあって、緑の芝生の上に黒い木造の建物であった。中心から三方向に建物が配置されており、それぞれギャラリーA、B、Cに分かれている。
いまの期間は『原美術館コレクション展』をやっており、近年の所蔵作品を中心に展示。

もともと、お目当ては決まっていて…やなぎみわの作品。彼女の作品を初めて観たときに打たれて以来、原美術館で昨年の秋に開催された図録を探していたのだが…すでに完売。美術館に問い合わせても「無い」ってことだったんだけど…、ミュージアムショップに、ありました!最後の1冊!(…正夢ってあるんだなぁ、なんて思ってしまった…)

ミュージアムカフェ展示されていたのは、マックス ストリッヒャー《Sleeping Gieants(silemus)》、草間彌生《ミラールーム(かぼちゃ)》、名和晃平《PixCell [Zebra]》、笹口数《星座》など。
《星座》は、近くで見ると、英語の文字が書かれているだけで、何だかわからないんだけど、遠目で見ると、ひとの顔に見えてくる。化粧品の名前で顔が作られているようで、可笑しかった。

キャンベルズ・トマト・スープミュージアムショップで念願の図録を購入し、ひとけの無いこういう場所は最高(!)(左上図)。これまでの原美術館の図録や美術書などが置いてあり、自由に読んでいいということなので、クリスト《囲まれた島々》の記録を記した1990年の本を読んだ。マイアミ付近の湾に浮かぶ11の島の輪郭にピンクのポリエチレン布を覆う、というすごいプロジェクトの話…。圧巻ですな…

野外には、10個の彫刻が様々な場所に配置してあり、牧場内を散歩しながら楽しむ。その一つがアンディ・ウォーホルの《キャンベルズ・トマト・スープ》。美術館のすぐ傍にある。若い青年二人が、これを見つけて、走って近くによって行ったのを見かけた…。
ほかには、島田忠幸《雨宿りの門》、金沢健一《ある意志の為の12の部分から成る構成 2》なんて好みでした。

楽しい休日でした。
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おー!野菜

おー!野菜じゃがいも、にんじん、いんげん、ごぼう。
車内広告で並んでいる鮮やかな広告を発見。良く見ると、広告が“切れて”いる。縦に何本ものランダムな切れ込みが入っているのだ。
「そのまま野菜スティック おー!野菜」というネーミングから、そのまま野菜を切ったってことをアピールしている。

よく車内広告でインパクトのあるものがたまにあるけど、『切れてる』っていうのも一工夫だなぁと思った。これって機械が切ってるのかなぁ。


コンビニで探したけど、セブンでようやく発見。
<うす塩味>の方、食べてみた。

ホントだ。野菜の素材を生かした感じが出ている。
油で揚げてあるので、ジャガイモはじゃがりこみたいな味を想像するが、違う。ポテトチップみたいな塩味ではない。でも、ちょっと油っぽいかなぁ。新鮮な味でした。

野菜=健康と考えてしまうのはでも大きな間違いだよね。
お菓子はお菓子。油で揚げている…

コンテンポラリーアートオークション

読売新聞の文化面は木曜がアートのテーマだ。
その中にあった記事。

現代アート本格競売時代
国内最大手の美術品オークション会社「シンワアートオークション」が20日、東京・銀座の本社で第1回コンテンポラリーアートオークションを開き、現代アートだけを扱った初の本格的競売として話題を集めた。
アンディー・ウォーホルの版画「Mickey Mouse/Myths]に1億5500万円、奈良美智の絵画「Be Happy V」に1550万円、松井芙由子の日本画に270万円など、29点のうち21点が計2億3490万円で落札。

庶民の私には1点1億5千万のモノを買うという行為が想像できないが、世の中には億万長者というのは思ったよりたくさん居るということを、こういう記事を読んでようやく認識する。

でも、そもそもモノの価値(=値段?)ってどうやってきまるんだろうという疑問が沸く。このオークションの値段は買う人(=消費者)が決めている。買い手がそのモノにそれだけの値段を払う価値があると思ったから、その値段がついたんだろうと想像する。

じゃぁ、その“価値”って何で決まるのか。

最近、読み始めたCNET.JAPANのブログで、井口尊仁さんの「アート資本主義」が面白い。
このブログでは、“アートを市場に乗せること”をコンセプトに、経営やマーケットについて描かれている。

自分の提示する価値観が、そのままマネーに変換されて流通されることほど、エキサイティングなことは無い!といい、ベンチャー企業がシードになる技術とかビジネスコンセプトを元に、株式市場で勝ち抜いていく構造と近似しているという。

なるほどと思ってしまった。ビジネスもアートも同じ考え方…。それは…気がついていなかった…。

「顧客から考えるアート表現。売れる芸術を考えることの意味。」という記事で、『買い手を満足させれば、それは価値がある』と書かれているところがある。
その通り!日本にいる3億円以上の金融資産を所有している約80万人をターゲットに訴えていくという方法もあるのだと、思い知らされた。
もちろん、買い手はそれだけじゃないだろうけど。

「ジミー大西とロングテール論」では、先日あったニュースを取り上げて、モノの価値を考えさせられる意見が書かれていた。
ジミー大西の贋作がネットオークションで16万で落札された。本当なら50万円のところを、16万円ってことは、それは買い手にとって16万円の価値だったってことだ(!)
50万という値段(=価値?)をつけたのは、もしかしたら吉本興業なのかもしれないが、それは適当な値段であって、美術作品に正当な評価とか、価値判断とかそういう決まった尺度がないのだとわかる。

結局のところ、じゃぁその“価値”って何なのだろうかと考えると、その作品をつくった「人」なんだろうと思う。人…「個人」。
ある有名な人が描いたってことで、値段が上がる。価値があると“思われる”。
その作品そのものの原価とはまったく関係のないところに、その価値の比率がとても大きいように思う。それって…製品のプロモーション活動、営業と一緒だ。買い手を満足できる人が居れば、その製品が完璧でなくても、ある顧客が満足すれば売れるのだ。

そして、アートの世界も同じなのね。その「人」が買われているのね。高く買われた事で、その人の価値はまた上がっていく…。

“笑い”がビジネスを変える

先ほど、NHKスペシャルで“笑い”がビジネスを変えるという番組を見た。テレビ欄からチェックしていたのだが、とても興味深く、是非、会社の上司に見てもらいたいと思ったほどだ。

番組ではいくつかのIT企業のメンバーで発足された『笑力研究会』の取り組みを追いながら、国内外での「笑い」と「ビジネス」との関係が紹介された。

笑力研究会というのは、IPA(=情報処理推進機構)に属しており、普段は何人もの開発者をまとめている課長クラスの何人かで構成されていた。彼らは会議室で真面目に「笑いのつぼ」について話し合い、「よ~!」「は、は、はーー!」と笑いの練習をしたりしていた(異様な光景です…)。

本来、会議は自由に意見を出し合うためのもの。それが、実際には黙っている人がいたり、本音が言えない雰囲気だったりする。それを笑い(ユーモア)で変えられないか、というのだ。意見交換の活性化は最終的にはビジネスの新たな展開→業績アップ→会社の利益というところにつながるだろう、というのが真の目的である。

笑力研究会のリーダーは「会議の場で仕切る人は特殊な能力が必要だ」と言い、喜劇の舞台を見に行ってメモを取ったり、伊藤四郎に意見をもらったりしていた。

そして、サウスウェスト航空の第一に掲げる「ユーモア」の社風と、実際の取り組みが紹介された。航空内でカーニバルや雪合戦をやっている風景があり、オフィスは個人の好きなように飾り付けをしたり、企業文化推進室という部署を用意して、社内が常に楽しくあるように気を配っていた。人事採用でも、以下の二つの質問をするという。
「仕事中にユーモアセンスを発揮したことはありますか」
「仕事中の急場をユーモアでしのいだ経験はありますか」

違和感のある悪い空気を和ませる場に、ユーモアの大切さを実感した。

結局、笑いが取れる人は営業能力も高いというのは、結局はコミュニケーション能力の高さと同じなのだと思うのだった。

笑力研究会のリーダーという人が、朝礼で社員に、笑いの大切さを説明しているところがあるが、結局、説明しただけでその場の雰囲気に笑いを起こさせられなかった。

IT業界の開発者でユーモアセンスを持った人はなかなかいないと思う。そして、それを強要するのも難しいと思う。しかし、職場は楽しくあるべきだろうし、仕事に対しての意見は何でも言い合うべきってことは、とても共感した。でも、そのユーモアから生まれたアイディアに賛同し、生かせる上司がいることが、本当の最低条件だと思うのだった。

『ザハ・ハディドとめぐるドイツ銀行コレクション展』

ザハ・ハディドとめぐる ドイツ銀行コレクション展今日の午前中は近くの公園で雨天決行の遠足をする予定だったが、朝になってなぜか中止の電話が入った。その後、真夏並みのいい天気になって、遠足の中止が悔やまれた。

でも、久しぶりにちゃんと掃除して、庭でボール投げしたりして汗をかいて、素敵な休日を過ごした。午後は、『舞い降りた桜 ザハ・ハディドとめぐるドイツ銀行コレクション展』に行った。

何だか、毎週のように美術館に通っているのだが、お気づきのように、すっかり現代美術にはまっているのである…。当面の目標は、「美術空間散歩」(青野尚子/シヲバラタク著)にある美術館にすべて行けることだろうか…。

原美術館最終日の前日だからだろうか、結構混んでいた。

惹かれたのは笠原恵美子のハンカチーフシリーズの作品。遠くから見ると、唯の模様に見える絵かと思いきや、一つの点は、毛のようなものが稲の様に決まった間隔で植えつけられている。

その隣に置いてあった、田中敦子の《無題(電気服のための習作)》を見た瞬間に、ソウタを意見が分かれた。特に題名を見ていなかったのだが、単純な私はこの作品を見たとき電気回路の図面を思い浮かべたが、ソウタは「ピアノの鍵盤だ」と言って驚かせた。良く見ると、本当に白と黒の鍵盤が並んでいるように見えるではないか…。

やなぎみわ《かごめかごめ》はとても印象的だった。
この美術館に来て、改めて、日本作家の作品の親近感のようなものを強く感じた。
ソウタはペーター・フィッシュリ/ダヴッド・ヴァイス《きのこ11》《きのこ29》が気に入ったようだった。「これは食べられない」と。

今度はハラ・ミュージアム・アークの方も行ってみたいな。

子供の絵

ソウタギャラリーでいろいろ作品を掲載してきたわけだけど、急に思うことがあったので、とりとめもなく記してみようと思う。

保育園で作られた物や絵は、いつもどこか本物ではない「作られた感」が漂っていて、本当にソウタが100%作ったものでないということに、実はずっと、違和感を感じていた。それはよくできていても、決して良い感じを与えなかった。しかしながら、違和感があっても、それはそれで作品として気に入ったものもあったりして、部屋に飾ったり、写真に撮ったりしていたのだった。だから、それを「良い」と言って写真として載せることもしたのだ。

家で落書き帳に描く線は100%ソウタが描いたものであって、それは新鮮さを与えてくれたわけだけど、やっぱりそれも、何かを見たり、影響されて「作られた」絵であって、それは記号みたいに、絵描き歌の絵のようなこともあるのだった。そして、それはまた、苛立ちと違和感を与えるのだった。

一時、同じ魚やカブトムシの絵をひたすら描いているときがあった。毎日、毎日、同じ記号のような絵を何十枚と飽きずに描いていた。それも大人からみれば、新鮮さのない、面白みのない絵だと思うのだったが、本人はどういう気持ちで描いていたのだろうか。自分の好きなものを自らの手で作る快感のようなものがあるのだろうか。今は、目立ってそういう絵をずっと描いてはいないが、やっぱり描くものは決まっていて、いつも、同じような絵を繰り返し描いているのだ。

「もっとこういう絵は描きなよ」とか、「うまいね」とか、大人が想像しているものを描けばほめてしまうこともあったかもしれない。でも、それはやっぱり大きな間違いなのだろうと思う。

もうすでに手遅れかもしれないが、保育園で作られる作品はすべて、一様に作られたセオリー通りの「型」だ。こいのぼりを作ると決まっていたとしたら、こいのぼりの作り方があるのだろう。それに沿って、作っていく。その道筋から少しでも外れれば、それは違う、こうだよって教える。そう、教えられているのだろうと想像する。だから、その型にはまることが正しくて、そうでないことは正しくないって思ってしまっているかもしれない。子供なのに、無心に線を描けないのかもしれないと思う。

毎日、朝から晩まで1日の半分を同じ場所で過ごしている。その生活をもう5年間も続けているわけだから、すでに、人格や行動は決まった型ができあがっているのだと思う。競争をしない、平等主義の場所だとわかっていても、それを否定しながら、保育園を変えないのは、やっぱり自分の手抜きなんだろうな。

教育が大事だといいながら、自分の教育に精一杯である。会話をするのは朝の1時間だけ、という生活をやめようとは思わないのである。それでも、その短い時間で、少しでも保育園では教えないことを考えられる方法を伝えられたらな、と思う。

国際バイオ EXPO

第5回 国際バイオ EXPO(5月17日(水)~19日(金))に行ってきた。

仕事中は缶詰みたいになっているので、久しぶりに外に出てみた。
外回りしていたときは、毎日のように出張していたのに、何だか、もう浦島太郎になった気分だ。

午前中だけ、バイオエキスポブースのみを重点的に回った。私が興味のあるのは、バイオインフォマティクス。装置についてるソフトウェアとか、単体で動く解析ソフトやデータベースのGUIにどうしても視点が行ってしまう。

ちょっと面白いなぁと思ったのは、ポストゲノム研究所のIniTIAというシステムで使われていた解析ソフトのZoomIn、Zoom outの動き。ゲノムレベルの長い配列から短い配列の縮尺をスムーズに変えられるのだけど、マウスをグルグル回しながら変えていく方法が面白いなぁと思った。圧縮タオルをもらった。

一度会ってみたいと思っていた、リバネス社の方にもお会いして、お話をしてきた。抗体物語のシオリをたくさんもらってしまった。

ほかにもマイナーな知らない会社がたくさんあって、知り合いに会ったり、挨拶したりして、やっぱり楽しい…(自分が業界人であることを今更ながら実感)。先輩にも偶然会ったりして、もっと話ができればよかったと、思うのだった。

鮮やかな色と形

5月は毎年こいのぼり制作。
吹流しは滲んだ色が美しい。こいのぼりの鱗は、セロファンが張ってあって、天気のいい日は色の影を出してくれる。
こいのぼり

母の日のプレゼントとして鍋敷きをもらった。
同じクラスのお母さんはみんな鍋敷きをもらったのだろうな。
なぜかバルタン星人。
なべしき表

裏は、亀。
なべしき裏

作者。
北海道に行ったときのバスの中で描いた落書き。
芸術だ。
作者

飛行場?
飛行場

ろぼ。細かい部品と色使いに注目。
足にたくさんローラーみたいなのがついている。
robo

ペンギン。
ぺんぎん

漫画とアート

髪を7センチほど切った。ようやく、自分の髪を切ってもらえる人が定着して(なかなか自分が気に入った人(場所も含め)と出会うのは難しいと思う)、大方美容院では、置いてある雑誌を読むか、美容師とお話するかで過ごしてきたが、最近は雑誌がすぐに飽きてしまうので、自前で本を持って行くことを心がけている。

美術手帖の2006年2月号で、『マンガは芸術(アート)か?』という特集があって、興味があったので読んでみた。
何を隠そう、私も昔は漫画家になりたいと思っていた人物の一人で、特集の冒頭の記事なんて、何だか共感するところばっかりで、こんな風に漫画を解説するということが理屈っぽいなぁと思ったりした。

村田蓮爾、古屋兎丸、弐瓶勉の三人の漫画家を取り上げ、それぞれに「マンガ」と「アート」の二つの視点からの意見を記事にしている。
特集には、マンガ史を変える30人とか、90年代以降の歴史を振り返りながら、いくつかのマンガを紹介しているが、マンガを知っている側から見たら、面白いと思う情報は特になかった。

竹宮恵子さんが意見を書いている記事があり(下記引用文)、最も共感した。

マンガは伝えなければ話にならないもので、その点が重要な違いです。その意味から、むしろマンガにおいては、読者に伝達されることこそがアーティスティックだと思います。マンガがアートの仲間入りするとは私自身はかんがえていません。マンガはマンガでしかなく、一人で立っているしかない分野だと思うので。マンガの世界が持つ「伝える力」について考えたら、アートが変わっていく気がしています。


漫画は漫画であってアートではないと、私も思う。アートとして表現する方法として漫画があってもいいかもしれないけど、漫画全体がアートかといわれたら違う、というのが私の意見かな。(漫画も芸術も語れるほど何でも知っているわけではないけど…)

『マンガの展覧会は何を提示したか(文=東谷隆司)』という記事も面白かった。美術館でマンガやアニメを題材にして展覧会を開くことの意味を考えさせられる内容だった。

美術館も経済的な影響を受けて経営が難しく、マンガを利用することで観客動員を増やすことができたという事実があって、「大衆が診たいもの」(=需要)と「美術館が見せたいもの」(=供給)のジレンマを抱えているという。

単なるアミューズメントとして漫画を美術館が取り上げるのではなく、美術館がそもそも社会に向けて行うべき活動の意味や意義を持って、漫画を扱うことによって、芸術を専門家や芸術に博識を持っている人だけにとどまらず、大衆に向けて表現できるのではないかということだった。

これは、美術館だけにとどまらず、科学館とか、サイエンスの場でもまったく同じことが言えるのではないかと思った。漫画にとどまらず、大衆に向けて、専門性の高いものを身近なものにしていくための努力というのは、その需要と供給のバランスを保ちながら、試行錯誤していくしかないのだろうな、と思った。

『イサム・ノグチ 世界とつながる彫刻展』

イサム・ノグチ雨が続いている。
もう梅雨がはじまっているのかと思うほどだ。
雨の中、『イサム・ノグチ 世界とつながる彫刻展』に行ってきた。

入るとすぐに、ベンチとモニターが置いてあり、いくつかのインタビューを通じて作業場の様子、石を削るシーンなどが映し出され、作品に対する気持ちや思想を語るイサム・ノグチの様子が映像として流れていた。炎天下の元、上半身裸の姿で石を削る姿が印象的だった。また、金属を使った作品には、機械を使うので限界があり、石の方がいいと語っていたところも印象に残った。

展示は四つのセクションに分かれており、前半は、顔や人物像をイメージした作品、マーサ・グラハムの『暗い牧場』というダンスの舞台装置を中心とした作品が並べられていた。実際の舞台の様子とそこで踊る人の姿も、何だか、そこにある舞台装置とマッチしていて、神秘的だった。
後半は公園の模型や、記念碑など人のコミュニティーを意識したもの、最後は生命、宇宙を意識した作品が並べられている構成だった。

全体を通して、幅広く様々なモチーフやテーマに取り組んでいる人なのだということがわかった。普通、身近にみる石は(石自体も都会では、余りお目にかからないわけだけど)固くて、ランダムな形を持った物体で、彼の作る作品のように、三つ足でバランスを取って立っていたり、穴の真ん中だけが開いていたり、石同士が絡まって飛び出しているということは無いので、その意外性が心を打つのかな、と思った。

個人的にはやっぱり《細胞有糸分裂》なんて、素敵だなぁと思った。また《夢窓国師のおしえ》、《見えるものと見えざるもの》に惹かれた。後者の方が、なんだか生き物を感じさせた。でも、これらの作品は景色と同化して置いてある方が、もっと映えるのだろうと思った。

ルーペ

お昼休みにブログを読んでいたら、科学コミュニケーションブログさんで紹介されていた、竹村真由子さんの個展が昨日から行われているというのを知って、散歩がてら見に行った。

竹村真由子さんという方を私は知らなかったのだが、科学に関するデザインをコンセプトに科学関係のセミナーのポスターや雑誌の挿絵等をサンレオールという会社として仕事をしている方のようだ。

『Loupe(ルーペ)展』 - Look things with a difference -

何しろ場所が近かったものだから、仕事中の監禁状態を脱出するためにも、ひとときの安らぎであった…。何度か通ったことがある道だったのに、こんな場所にこんな素敵なお店があるなんて気がつかなかった…。中は決して広いとはいえない、小さなスペース。しかし、そこに飾られた、ルーペの絵はなんともいえずに自分が小さくなったような不思議な感覚にしてくれた。

Loupe(ルーペ)っていうのは、科学雑誌なのね。個展はその創刊記念のようだ。内容は今回は花粉をテーマにしていて、通常、理系の人がイメージする科学とはちょっと違う。
あくまで一般の人が読み物として読む感じの内容だ。

“くしゃみする街角”って記事が面白かったな。

娘芋

GWも最後の日。明日からは仕事に励むぞ~……って簡単にON/OFFのモードが切り替わっているのか不安だったりする。

昨日の夜は会社の友人と新橋から徒歩3分くらいの「娘芋」という店にお酒を飲みに行った(初幹事。笑)。

6時半から飲み始めて…5時間半も同じ店で飲んでしゃべってしまった。よく考えるとすごい長さだが、実際にはあっという間だった。

お店は広くなく狭くなく、雰囲気が落ち着いた色調の家具で構成されており、テーブル席の椅子がソファーになっていて、居心地がよかった。
お店の人も女性がとてもきれいな人で、その落ち着きように見とれてしまった。

タイガー and ドラゴンという芋焼酎をはじめて飲んだが、とても美味しかった。このお酒は取り扱っている酒屋が数店しかないらしく、そう言われると欲しくなるのは何とも不思議だ。

お店で食べた『黒糖そら豆』がよかった。甘くてお菓子のようにカリカリしていて、甘いのにお酒の辛さと合っていた。

「熱狂の日」音楽祭2006 開催

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2006のコンサートに行ってきた。

結局…私が聞いたのは下記の3公演のみであったが、普段聞きなれない波長が身体を釘付けにした。耳だけを音に集中させるのは、言葉を聞く場合と違って、何だかいつもと違う感覚器官を使っているようで(脳もね)ビリビリ痺れていた。

<演奏者>
クリストフ・コワン(チェロ) ディヴィノ・ソスピロ
エンリコ・オノフリ(指揮)
<曲目>
ハイドン チェロ協奏曲第1番ハ長調Hob.VⅡ.B.1
モーツァルト 交響曲第40番ト短調 K.550

<演奏者>
アンヌ・ケフェレック(ピアノ)
オーヴェルニュ室内管弦楽団
ゴルダン・ニコリッチ(指揮)
<曲目>
モーツァルト ディヴェルティメント ニ長調「ザルツブルク交響曲第1番」K.136
ピアノ協奏曲第9番変ホ長調「ジュノム」K.271

<演奏者>
ボリス・ベレゾフスキー(ピアノ)
シンフォニア・ヴァルソヴィア
井上道義(指揮)
<曲目>
モーツァルト セレナード第13番ト長調「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」K.525
ピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467

最もよかったのは、2公演目の「ザルツブルク交響曲第1番」K.136
とケフェレック氏のピアノ協奏曲第9番変ホ長調「ジュノム」K.271。

最初の1曲目はテンポの速い明るい曲で、旋律が何だかとても新鮮な感じだった。2曲目のピアノ協奏曲はピアノのソロが出てきた瞬間に感動してしまった。ピアノの音とはなんて心地よい音なのだろうと。管弦楽器の音よりも、やっぱりピアノの音の方が、安心感というか、なぜか安堵を覚えるのである。

1公演目と2公演目はB7ホールでそれほど多くは収容できないところだったが、3公演目はAホールで、曲も有名なものを選択してしまったので、すばらしい演奏ではあったが、あまり面白くはなかった。

なんにしても、コレをきっかけにもう少しクラシックを見直してみるいい機会になったと思う。

北海道で食べたもの

北海道に行って食べたものを紹介。
と、言っても食通ではないので、WEB上に公開するほどたいしたものは食べてないが…。

1日目の夕飯はちゃんこ鍋の店に(ちゃんこ鍋 四季の味めぐり 相撲茶屋 本店)行った。
この日は北海道の寒さを甘く見ていたお仕置きを食らったように凍えていたので、熱燗と横網ちゃんこ鍋2人前、サラダにアラカルトをいくつか注文した。が、ちゃんこ鍋の量が半端ではなく、2.5人でも食べきれないくらいの量だった。

2日目は車で230号線を下ろうとしたが、GW後半の初日とだけあって道が混んでいたのですぐに断念し、5号線から高速に乗り、小樽に向かった。
小樽では安易にも和楽という回転寿司屋で昼食。食事にありつけるのに、昼前だというのに20分以上は待っただろうか。すごい混みようだった。
実際のお寿司の方は、もちろん、関東で食べるのとは全然違った。

タラバガニその後、小樽市内をうろうろして、カニを購入した。写真はタラバガニだけど、買ったのはズワイガニで生きたまま送れるというので、ゆでるのは母任せで実家に直送した。2900円で安い!と思ったけど郵送代が2000円・・・。お店でも味見させてもらえた☆


ロイヤルモンターニュLeTAO(ルタオ)という店で、チョコレートを購入。小樽の洋菓子屋で限定品も多いからだろうか、めちゃめちゃ混んでいた。
自分用にロイヤルモンターニュ(右写真)とお土産でホワイト レアチョコレート ナイアガラとメロン(夏季限定)を選択。ほかにも美味しそうなお菓子がたくさん並んでいた。ロイヤルモンターニュは、全然甘さがしつこくなく、だからといってビターでもないチョコレートだった。チョコレートにダージリンティーをブレンドしているからだろうか。

白くまシュー3日目は、食べるのもだいぶ胃が疲れてきて、結構いい加減になってきたが、旭川へ電車で移動。旭川と言ったら…そう、旭山動物園に行った。
着いてびっくり。その人の多さに…。ここは本当に北海道かと疑うくらいだった。動物を見るために通常の上から動物を見るのではなく、下から覗くためのあざらし館、ほっきょくぐま館、ぺんぎん館は特別混んでいた(長蛇の列)。


動物の種類はいたって普通。
ただ、ゾウもキリンも居なかった。ゾウは先月21日に急死。キリンは新しいのが来たばかりというニュースがあったが、飼育場に慣れていないらしく、外には出られない状態だとか。
写真は動物園の名物、白くまシュー(150円)。ホワイトチョコと白いクリーム入りのシュークリームなんだけど、甘い!苦手なタイプの甘さだった…。
 

モエレ沼公園

2日から北海道に行って先ほどようやく帰ってきた。
2年ぶりの家族旅行である。
モエレ沼公園夕日
私にとって北海道とは少しだけ特別な場所である。北海道に行くのは(日帰り出張を除き)実に9年ぶりだったのだが、たった1年間だけだが学校の都合上、生活をしていたことがあった。この1年間は非常に貴重でもう二度と味わうことはできない鮮烈な思い出ばかりが、心の中できらきらしているのである。何せ、その当時そこで現在の旦那となった人と出会ったという意味でも特別な場所である。

ガラスのピラミッド
1日目は到着してすぐに、札幌市東区にあるモエレ沼公園に向かった。
イサム・ノグチが構想して生きている間に実現されず、その後17年の歳月を掛け2005年にようやく全体が完成したという公園。『公園全体が彫刻なんですよ』と彼は言ったそうだが、そのスケールの大きさに驚いた。

エレベーターのデザイン
上記写真は《ガラスのピラミッドHIDAMARI》。本当は、途中でバスを間違え、たどり着くまでにヘトヘトで、寒くて凍えそうなところに、この建物は私たちを生き返らせてくれた。中には、ベンチと展示室とレストランがある。中央には特徴的なガラスでできたエレベーターがあった。エレベーターに乗ると、このような模様があって、穴から外の景色が見えるのが窓のようだった。

プレイマウンテン
公園内には《モエレ山》と《プレイマウンテン》という二つの山があって、走って容易に登れるような大きさなのだが、芝生が青々としていて、走ったり、叫んだり、どんなに手を伸ばしても、広い。大きい感じが北海道に来たんだというのを実感させてくれた。写真は、《プレイマウンテン》の方で、山の反対側だけ、花崗岩の階段が作られている。

花崗岩この花崗岩は、四国から手間をかけて運んできたものだそうで、私はフワフワの芝生にねっころがり、下からこの岩の写真を撮ってみた。

地図で見ると、公園全体はなんだか歩いてすぐのような距離感で描かれているが、実際にはものすごく広い。
何も障害物がないので、見えるところに山や彫刻が見えたりするが、実際近づいてみようとすると、ものすごく遠い。広々とした公園をうろうろ見ながら一周するのに、急いでも2時間半以上はかかったのではないだろうか。

テトラマウンド
夕方で、夕日がとてもきれいだったが、恐ろしく寒く、地元の人と思われる人が犬の散歩をしているくらいで、歩いている人は殆ど居なかった。右図は《テトラマウンド》というイベントやコンサートに使うための広場で、三角形が山の形を表しているようで、夕日に照らされ、美しかった。

しかし、何とも感無量であった。

そして、また札幌市内の至る場所でも彼の作品を見ることができた。

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『カルティエ現代美術財団コレクション展』

カルティエ現代美術財団コレクション展GW三日目は、午後から東京都現代美術館へ。
『カルティエ現代美術財団コレクション展』を見にいった。

平日ということもあって電車の中は背広姿の人が多かった。もちろん私もフツーなら働いているところだが、休みにしてしまった(仕事への意欲半減か?)。館内は学生風の人が多く、それなりに混んでいた。

カルティエ現代美術財団が20年近く活動してきた集大成で、それを一堂に紹介するのは、世界で初の試みだとか。

展示は大型であるインスタレーション作品のインパクトが強かった。
見ていて、心踊り、楽しませてくれる場合もあり、心拍数が上がり、緊張感の中で観覧する場合もあり、疲労したが、現代美術を堪能したという感じだった。三日間の中では最も自分に親近感が沸く素敵な展覧会だった。

ポスターにもなっているロン・ミュエクの《イン・ベッド》は巨大な人物の生き写しであった。肌や目の色、表情を見つめれば見つめるほど今にも動き出しそうな感じで、巨大であることの違和感が近づくことができないくらい怖い雰囲気を持っていた。

リチャード・アーシュワーガーの《クエッションマーク》、ライザ・ルーの《裏庭》は見ていてとても楽しい感じを受けた。

印象に残ったのは、アドリアナ・ヴァレジョン《白いサウナ》と《赤むけのタイル》。前者では、白いタイルの風呂場が描かれた絵画で、その何ともない風景から恐怖を感じる。後者は剥がされたタイルの中に臓器のようなものが詰まっている彫刻である。よく見ると正確な臓器を表しているわけではなかったが、その表面的なタイルと中に詰まっている赤い物体とが生き物を表しているようで、美しくも感じた。
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