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ラベンダー苑

母と連絡する頻度が増えた。
今年に入ってからお店のホームページを改造したり、講座用のチラシやレシピを作るのを定期的にやるようになったためだ。
いつものように一方的な注文が来る中、6月になったら久喜にラベンダーを見に行たいというのがあった。ハーブインストラクターという資格を取るほどにハーブへのこだわりのある母にとってラベンダーはやはり特別な花らしい。

久喜市菖蒲町では毎年、あやめ・ラベンダーフェスティバルというのを開催していて、菖蒲町の庁舎の前(写真では奥の建物)に、ラベンダー苑が広がっている。地元のラベンダーにちなんだ食べ物や雑貨などを売る店舗が並んでいた。



訪れた日は梅雨も吹き飛ぶような夏日で、照り返しが強く、花もやや萎れ気味であった。



ラベンダーをこんなに近くで見たのは初めてのことで、香りと色も独特だけれど、とにかく蜂がすごい。ミツバチの数が最も多いが、クマンバチのような大きな蜂もたくさん集まっていた。(写真では蜂が消えているのが不思議だ)



車で一時間ほど走りながら眠りから覚めた我が家のちびっこ怪獣は、車から降りるとき不機嫌最高潮だったが、紫陽花の葉の上に乗っかっていたてんとうむしを見つけて、迷わず指先を近づけているうちに、どうやら機嫌のことは忘れたようだった。



木陰のベンチでラベンダーを眺めながらおにぎりを食べた。
出店で買ってきたおにぎりの具は鮭と梅干で、米には絶妙な塩味が効いていて、誰かのうちでごちそうになった握り飯のようであった。

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江戸東京たてもの園

私の気晴らしに付き合ってもらうため、中学生の息子とは「アンディーウォーホル永遠の15分」展に連行させたり、「栄西と建仁寺」展を観に行った。
ウォーホル展の帰り道、私は彼に向かって独り言のようにつぶやいた。「芸術家になりたい人は、芸術作品をたくさんみてるよね、漫画家だったら漫画をたくさん読むだろうし、建築家になりたい人はいろんな建築を見るんじゃないの?」
その言葉が効いたのか、その後の生活で彼の勉強や将来に対するやる気が少し芽生えたような気がした。
 
「建築」に関する博物館というのは日本に少ないような気がする。江戸東京たてもの園はその貴重な建築物を保存、紹介するための施設だ。
都立小金井公園の中に位置し、正面入り口に向かって東西に三つのゾーンがあり、古いものでは江戸時代に建てられた民家から、近代建築まで多様な建物が中に入って見学できる。



これは東ゾーンにある下町中通りの荒物屋と生花店の間の裏路地。
この商店街の建物は「千と千尋の神隠し」のモデルとなったらしく、居酒屋のおじさんが得意げに紹介していた。
(江戸東京たてもの園のマスコットキャラクターも宮崎先生がデザインしたようだ)



これは大正時代から港区白金で営業したという醤油店。味噌、醤油、酒を売っていたという。
ここに建てられている建物はすべて実在したものの復元になっている。



千住元町の「子宝湯」。
銭湯を代表する建物とある。外観は神社仏閣を思わせる唐破風。
脱衣所の格子天井を見て、以前、同じく千住にある「大黒湯」に行ったことを思い出した。
いいよね、銭湯。テルマエロマエも時間ですよも、銀河銭湯パンタくんも好きだ。



高橋是清邸の2階の窓から撮った写真。
2階には、2.26事件の現場となった書斎や寝室に入ることができる。事件に関するパネルや新聞記事なども展示されていた。
建物は洗練された日本家屋で、同じお金持ちの家でも、三井八郎の家なんかよりもずっと趣があってよいと感じた。



庭先の花が見事だったので一枚。



ここには日本家屋以外に洋館なども建てられているが、近代建築の前川國男邸も印象に残った。
前川國男氏は有名な建築家で、昭和17年に建てられたとは思えないほどモダンな書斎で、こういう空間で仕事をするのは多くの人の憧れであろうと思う。

自宅から児童館までの道のりの途中に桜並木があって、並木を中心として右側が自転車、左側が歩行者の道がある。
一年に一度だけ花を咲かせるこの白き花の最も美しい時はやはり散り際だろうと思う。



私は新しく買った自転車の前輪上に取り付けられた椅子に怪獣をちょこんと乗せて、この道を走る。
風がさぁっと吹いて、花びらが舞って、この感じをもう少しだけと思い、自転車を止めて降りてみることにした。



ちらちらと雪のように降って、頭の上に偶然降り立った一枚を手に取ってみる。
彼はそれを掴もうとして落とし、道に落ちている沢山の花びらを掴んではまき散らすのを楽しんでいる。



桜のわずかな青空への飛行の瞬間を撮った。

いまやすっかり青々と葉っぱを茂らせて、瑞々しい雨露をたらしていることだろう。
自転車で通るたびにお花ははっぱっぱになってしまったと口ずさんでいる。

伊勢神宮

幼児連れの旅は楽ではないけれど、家族で伊勢参りをすることにしたのだ。
その日はちょうど天皇が参拝する予定の最終日と同じ日で、道路際の歩道には日の丸を掲げた人が、マラソンランナーを待つ観客のように立っているのを見かけた。

伊勢神宮は、天照大神を祀っている「皇大神宮」(内宮)と豊受大神を祀っている「豊受台神宮」(外宮)の二つを中心として、他にも多数の別宮や摂社、末社などを総称して“神宮”という。

参拝は外宮からとガイドにあったので、その日は朝一番で外宮まで行き、衣食住と産業の神という豊受大神を拝みに行った。敷地内は背の高い杉の木で囲まれており、強すぎる朝日にも木漏れ日が優しかった。



メインとなる正宮は20年ぶりに立て替えられただけあって見るからに新しい。



そしてすぐ隣には古殿となった社殿がそのままになっており、20年後に再び新しく生まれ変わるのを待っているのだ。



これは皇大神宮の場合も同じで、正殿の真隣に古殿地がそのままになっている。

外宮の敷地内には「せんぐう館」という資料館があって、社殿の模型を間近で見られるための現物大の展示などがある。
私がその展示を見終わった頃に、ちびっこ怪獣が眼を覚ましたので、手水舎の傍で石ころ遊びをした。



丸っこい石が大量にあることに目を輝かした彼は、懲りずにひたすらじゃらじゃら。
通りかかった男性が「うちの娘も石大好きなんですよ」と声をかけられてしまった。



これは内宮の入り口、宇治橋の所。平日昼間だというのにこの人だかり。

内宮の敷地内も半端なく広い。歩いて正宮までたどり着くのにかなりの時間がかかる。
途中、五十鈴川の御手洗場というところがあって、ここで心身を清めるとあったので、川の水に指先を浸してみたら、とても冷たかった。



大混雑の中、正宮を参拝。
写真には人は写してないけれど、この鳥居の下は人でいっぱい。



20年経つと茅葺屋根もこんな風になる。



混雑といえば内宮の入り口にたどり着くまでの参道である“おかげ横丁”も相当の混みようであった。



私の場合、"花より団子”ではなく、“団子より花”なので、それほど横道は逸れなかったけれど、お土産には赤福と、伊勢独楽を買って帰ることにした。



甘い。ものすごく甘い。
はじめて食べたけれど、これは普通の饅頭と逆で、餡子の中に持ちが入っているという感じ。
見た目が餡子の塊で見た目通り甘かった。

花桃まつり

中川の河川敷で花桃まつりというのが毎年恒例である。
今年も自転車を走らせ、花の様子を見に行ってみたらとても見事だったので写真に収めた。







菜の花が畑一面を黄色に塗って、空に花粉を舞い上げていた。

大洗水族館

茨城の大洗水族館へ行くのはこれが二度目である。
一度目は2006年の9月であったことを確認した。
その頃、鮫ブームが続いてた息子のために、この水族館をネットで調べ、「鮫」のためにわざわざ長旅となる列車の旅を計画したので私はよく覚えていた。
がしかし、その当人は7年前のことなどすっかり忘れていて、全く記憶にない様子だった。



今回はパパが行こうと言い出したのだ。
きっと幼児でも中学生でも楽しめる場所を考案したのだろうけれど、中学生の方はそれほど楽しんでいる様には見えなかった。私と同じペースで水槽を適当に眺めていく。
1歳児は水槽の中をうごめく「さかな」に視線を動かすものの、彼はこれをどう感じているのか、私には見当もつかない



私のお気に入りはクラゲである。
クラゲの水槽だけは写真を撮ろうと気持ちが動く。



毎度おなじみミズクラゲ。
それから下はサムクラゲ。別名目玉焼きクラゲともいうらしい(見た目からね)。



この触手の長い、線のようなクラゲはギヤマンクラゲ。
これでよく絡まらないなぁと関心してしまう。



魚は眼があるし、一見、眼がないような生き物でも形が気持ち悪かったりすると、悪寒を覚えることしばしばだが(よくこれで生物学科出身である)、クラゲは透明度が高いほど美しく感じる。



冬の大洗海岸。
晴天下では冬の海でもすがすがしく青かった。

2014年、あけましておめでとうございます

2014年があけてしまいました。
ブログは今年も細々と書いていこうと思います。



年末に長野に行き、ふと車を止めたところに小さな池。
近づいてみると、凍っていた。
試しに小石を投げてみたら、すすーっと小気味よくどこまでも滑っていった。

良い年になりますように。

粟又の滝(養老の滝)の紅葉

2011年の夏に小湊鉄道に乗ってこの養老渓谷まで訪れた時、すばらしい山の景色を見て、今度は必ず紅葉の時期に来ようと心に決めていた。あれから2年。ようやく紅葉の名所まで来ることができたのだ。

養老渓谷駅で降りたって、バスに乗ったところまでは覚えていたが、どこまで行ったら良いか記憶が定かでなく、乗客の殆どが「終点」まで行くことを知ってそれに便乗して辿り着いたのが、“粟又の滝”であった。



バスの終着場所から歩くこと15分ほど、傾斜の激しい階段を下って河原まで降りると、滝がお目見えする。
紅葉の時期とあって人通りも多く、さぁ私も写真だとカメラを構えた時には、冬の午後2時すぎということもあってすでに陽が傾きはじめていた。



前回のときと同じようなアングルで撮影しようとやっきになって、水面にファインダーを向けていたのだが、あまりうまく紅葉の色合いが撮れなかった。
(前回の記事はこちら



私が撮った紅葉の中ではこれ↓が一番まともなものだった。
やはり紅葉の色彩は本物を堪能するに限る。



出雲大社

二泊三日の山陰の旅。
初日は鳥取をレンタカー(7人乗りのワゴン車)で各名所を回り、二日目は朝から二時間以上かけて島根県に渡り、出雲大社を目指したのだ。

出雲大社からほんのすこし離れた住宅街の一角に「平和そば」の看板を見つけた。
皆揃って「割り子蕎麦」を注文した。



出てきた蕎麦を見て、“割り子”というのは、蕎麦のお椀が三段に分かれているという意味なんだな、と解釈した。
別の容器に入った“つゆ(だし汁)”を蕎麦の上からひとかけし、さらに薬味として、刻みネギ、海苔、もみじおろしを適当に混ぜ合わせ、蕎麦と絡めながら食べる。

このシンプルな蕎麦がなんと美味しかったことか。
蕎麦が心底おいしいと感じたのは、はじめてだったかもしれない。
蕎麦そのものもさることながら、だし汁の絶妙な甘さと、薬味の組み合わせがとても良いのだ。
特にもみじおろしの辛みがすばらしいアクセントになっていた。

そして量も少し足りないかなぁと思いきや、三段目を食べる頃にはお腹がいっぱいになっているから不思議である。



念願の出雲大社に到着。
写真は見どころの一つ、神楽殿の注連縄。
長さ13.5メートル、8メートル、太さは8重さは4.5トンで日本一。
出雲大社のシンボル的な存在。近くで見ると迫力。



こちらは、本殿の手前にある御仮殿の正面。
こちらのしめ縄は長さ6.5メートルだから、神楽殿の約半分だ。
ここで一旦参拝する。

さらに奥へ行くと本殿があるのだが、本殿に入ることはできない。八足門という入口で本殿を遠目に拝むしかないのだ。
門の両側は壁が建てられていて、正面から本殿を見ることはできないため、なんだかちょっと物足りない気持ちになるが、こういうものなのだろう。

下の写真は納めたお金の代わりにもらった絵ハガキの一枚。
中央に見えるのが本殿で、実際に行けるのは、その二つ手前の門のところまでである。
緑色の屋根が御仮殿。

IMG_1376.jpg

どのガイドブックにも載っていることだけれど、ちゃんと参拝するときは、はじめに木の鳥居をくぐって参道を歩き、手水舎で身を清め、御仮殿、神楽殿と参拝する順番だけれど、実際にはそうできなかった。

ベビーカーを押していると、「赤ちゃん危ないですよ」と警備の人にいわれる程の猛暑。
とても日なたには立っていられないほどの暑さで、参拝もそこそこに、お隣の歴史博物館に逃げ込んだ。



おもしろいのはコレ。
2000年に出土した本殿の巨木柱からの大きさから計算し再現した、かつての出雲大社の姿(仮説をもとにした模型)。
この長い階段を実際に再現したらさぞ参拝者が増えるだろうになぁと思った。



最後は二階のカフェでひといき…。
デザインカプチーノの“雲太くん”を注文。
ああ今日も暑い一日だった。

編集長もどき

花束をもらった。
春にふさわしく、桃色の花でアレンジされた花束。
チューリップとカーネーションをより一層引き立てる黄色いバラ。

これを用意してくれたのは、友人、息子、ましてや夫などではない。
小学校のPTA総務委員の面々である。
「役員お疲れ様でした」という意味を込められたものだった。



考えてもみれば、わたしが小学校のPTA役員を二年もの間、こんなにも熱心にやることになろうとは、誰が予想していただろうか。自分でも驚きである。
仕事をしていた頃からしてみれば、天変地異の出来事である。
それまでPTAなんて言葉は、学園ドラマの中の教師をせっつく悪者のイメージでしかなく、時にはモンスターペアレントとなり、時には主婦同士で熾烈な戦いを繰り広げる裏表の激しい集団のようなものを想像していた。

だが実際にはそれとは全く違った。
わたしの目に映ったのは、学校や児童のために自らの時間を費やし尽くす母親たちの姿だった。
毎日のように学校へ足を運び、学校や子どもたちのためになにかできることはないかと、トイレ掃除をしたりボランティアに参加したりと無償で働く人達がそこにはいたのだ。
でもそんな人が「いる」ということですら、働いていたわたしには知る由もなく、想像すらしなかった。
だからこそ広報委員となったわたしにとって、それを広報紙に書くことは使命のようにも感じられた。

広報委員の仕事は、学校の様子やPTAの活動を記事にまとめた小冊子を作成することだ。
学期ごとに1回。8ページほどの原稿を前に企画を考え、取材、編集、印刷、発行までを行う。
取材は毎度学校へ写真を撮るためカメラ片手に撮影。
使う写真を選び、記事にまとめて文章にし、原稿のレイアウトを考える。
校正をし、委員の記事にダメ出しをし、最終的な原稿のしあげ作業をする。

それまで白黒だった紙面を、全面カラ―にで大胆にレイアウトを変更し、考えうる限りのことを試した。
委員長が企画したPTAに関する保護者の意見をまとめたアンケートの内容が功を奏して、県の代表となる賞をもらったりした。
そして要領を得た二年目は今度は自分が委員長として、まるで編集長のような心持ちで、毎度の発行を楽しんだ。
みんなが見たいと思うような、読みたいと思うような、広報紙は何だろうかと考え、思考錯誤を続けた。
これほど自由に、紙面を思うままにでき、なおかつ必読者が約束されているなんて状況が他にあるだろうか。
“読んでくれる人がそこにいる”と思うだけで、気がつくと何時間もパソコンに向かっている自分がそこにはいた。





役員は4月の総会を区切りに一年ごとに新しいメンバーに代わる。
何となく二年間も携わってしまったこの最後の仕事。
刷り上がってきた冊子を印刷屋から受け取り、クラスごとに仕分けをする。
これで小学校に来るのも本当に最後かもしれないと思い、その日は初めておうちゃんを抱っこして小学校まで歩くことにした。

その日は風のないからりと晴れた昼下がりで、校舎の中に入ると、子ども達は三角きんを被って掃除をはじめていた。
PTAルームでは新旧役員がごった返していて、おうちゃんは校内放送と大音量の言葉の波にびっくりしたような顔をしていた。

広報紙の表紙には、入学したての一年生が教室で初めて先生に挨拶している様子が写されている。
中は校舎に見立てた配置図のそれぞれの枠に先生方の写真と簡単な自己紹介。
背景の桜の写真が新しい一年がはじまったことを告げている。


すべての作業が終わり、知人の一人が声をかけてくれて、花束を持ってきてくれた。
もしこれが総会でもらった花束だったとしたら、こんなにも感慨深い気持ちは湧いてこなかっただろう。
わいわいがやがやした部屋でもらったこの花束はとても輝いていた。
それまでお世話になった教務の先生や校長先生にも挨拶した。
校長先生はちゃんと颯太のことを覚えていて、励ましの言葉をくれた。

正面玄関をくぐり、外にでると、午後の日差しが降り注いでいて、なんだか急に静かになったような気がした。それまでどこからともなく聞こえてくる子どもたちの歓声や、誰かのしゃべり声がぴたっと止んだような。

すると一陣の風が吹いてきて、すっとわたしの髪を揺らしていったのである。


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