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東京おもちゃ美術館

四谷三丁目から住宅街へ入った一角に東京おもちゃ美術館というのがある。
なぜこんな行きづらい場所にあるのだろうと思っていたけれど、建物の外観を見て納得した。
廃校になった校舎を利用しているのだ。
旧四谷第四小学校の入り口脇には講堂らしきスペースがあり、私が訪れた時、袴を着て竹刀を構える人たちがたくさんいた。近隣住民らの文化施設でもあるようだ。



美術館は校舎の1階から3階までの11教室を利用してそれぞれの部屋に様々な趣向を凝らしている。
赤ちゃんが楽しめる木育広場や、子どもから大人までもが夢中になれるグッドトイ展示室、企画展示室、おもちゃのもり、ゲームのへや、おもちゃのまち、などがある。
子どもにとっては、遊べるおもちゃがたくさんあって、どれもこれもとても一度ではやりきれないほどの種類だろうと思う。



赤ちゃん広場やおもちゃの森には、木製のおもちゃがたくさんあり、その手触りが心地好い。
我が家のちびっこ怪獣はまあるい木のカタマリよりも動くモノの方がいいようだ。
彼は大の独楽好きで1歳になる前から毎日飽きもせず独楽が回るのを見ている。
そしてこの施設には独楽がいっぱい。楽園のようだ。



たかが独楽とは思うなかれ。ただの独楽といっても様々な種類がある。ちょっと探せば本当におもしろい形や回し方の独楽がたくさんある。
我が家にも既に17個もの独楽があるが、世界にはもっと面白い独楽があるようだ。
世界の独楽写真集



写真は“おもちゃのまち”の一角。独楽専門のコーナーがある。
私がほしいと思ったのはこれ(下写真)。
チロリアンルーレットというらしい。

IMG_0964_017.jpg

中央の独楽を回して独楽にぶつかった小さな玉は不規則にあちこち飛びながら、開いている穴に入ったり入らなかったりする。
ゲームではポケットに入った点数の得点を競うようだ。
緑の玉の場合はマイナスなどのルールがあり、小学生になったらぜひ足し算引き算の練習として遊びたい。


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湖畔美術館

私にとって美術館に行くことは、精神の浄化である。
息苦しい時、もやもやしている時、荒れている時、アートが置かれた空間に身を置くことで、心安らかな気持ちになれる。
都内の斬新な企画展もいいけれど、郊外の人があまり来ないような悪く言えば閑散としたような美術館を選ぶとなお良い。
肺にきれいな空気を入れるという意味でも身体的な心の浄化にも良いのだ。
郊外の場合、展示されているものにあまり期待はできないけれど、人がいない場所の現代アートは最高である。

写真の場所は市原の「湖畔美術館」。
以前は「市原市水と彫刻の丘」という名前で1995年に建てられたが、2013年にリノベーションしたという。
なにかの雑誌で“行くべき美術館”の一覧に載っているのを見かけて、これは知らないなぁと思って、目をつけておいたのだ。



美術館の外壁に石で書かれた文字。
これも作品の一部のようだ。これは房総にちなんだ詩歌が書かれているという。

美術館の中庭のような場所には、≪飛来≫と名付けられた彫刻。
“天空の彼方から億光年の光のカタマリが飛んできたというイメージ”とある。



立地がいいので、改築して大正解である。
房総半島の中央、高滝湖というダム湖のほとりにある。



湖ではボートを使って遊んでいる人たちがいるだけでなく、個性的なオブジェが目につく。
(このトンボが立ちあがったようなメタリックな彫刻はちょっと怖い^^;)
さらに存在感を出しているこの背の高い黒い建物。
近寄ってみると、藤原式揚水機(展望塔)とある。
地域で使われていた農業用水を汲み上げるための揚水機を模したオブジェだそうだ。





水車は水を歯車を使ってこの展望台らしき建物の一番上まで持ち上げており、階段を上ろうとすると、水が上から雨のように滴って水しぶきを上げている。
当然、足元は濡れており、階段と階段の隙間から下が見えることもあって、とても登れたものじゃないと、私はすぐに断念した。が、息子は気力で頂上まで上り、より遠くの景色まで眺められたと自慢していた。



入口をくぐるとそこには、奇妙な多角形の彫刻がお出迎え。
作品≪Heigh-Ho≫。この穴ぼこだらけの形は“肺胞”をイメージしたらしい。
人がいない時には、ひっそりと呼吸しているかのようだ。

入ってすぐ地下の階段を降りると、クワクボリョウタ≪Last Windows≫という作品があるm。
コンクリートの壁で仕切られたあまり広くない空間に、映像で作られた窓がたくさんある。
そのやわらかな光を眺めていると、異世界に迷い込んだような感覚に囚われた。





展示室を鑑賞してから屋上に出ようとすると、長いスロープがあり、先が見えない仕切られた空が美しく、何が出て来るのだろうとワクワクする。

これは雑草を模した彫刻のようだ。隙間を縫って、ちょっとした遊び心。
屋上広場で再び湖を一望した。

砂の美術館

今年は出雲大社も伊勢神宮も遷宮の年だというので、「縁起担ぎに行こうかと思う」なんてことを母にもらしたら、「わたしも行きたい」ということになり、「じゃぁ、一緒に行くかい?」と言ってしまったので、最終的には、母が強制的に父を参加させた6人(大人四人、中学生一人、赤ん坊一人)の旅行に行くことになってしまった。
わたしとしてはひとり旅が理想であるため、こんな大所帯は初めての体験であった。

せっかく島根に行くなら隣の鳥取にも行きたい。ということで、2012年に開館した念願の「砂の美術館」にも行ってきた。
鳥取砂丘のすぐそばである。



地上三階建で、メイン展示場所は二階で三階との吹き抜けになっている。
今回展示されていたのは、『砂で世界旅行・東南アジア編』ということだった。



大きな体育館のような場所に砂の彫刻は所狭しに鎮座しており、とにかく近くで見れば見るほどすごい迫力である。
しかもこれらはすべて「砂」と「水」だけで作られているというから驚きである。何か半永久的に固めておくことができるような接着剤は使われておらず、まさしく砂場で作る“砂遊び”と同じなのだ。



写真で見ると、これが木でできているような印象を受けるけれど、正真正銘の砂である。世界には砂像彫刻を手がけている人がたくさんおり、これらは総合プロデューサーの茶園勝彦さんがプロデュースし、世界各国から17名のプロを呼んでこれらの作品群をつくりあげたという。



屋内外合わせて19の作品が展示されていた。
外は高温多湿の夏日で日射しが強く、外に出ていられない程の暑さだった。



もちろん、砂丘にも行ったは行ったのだけれど。
砂漠の上はやけどをするほどの暑さ。
サウナにいるような状態だった。



圧巻の景色。遠くの海が涼しげだが、
とても歩いて行く気力は湧かず…
近くのラクダでも写真に撮ろうかななどとカメラを構えて近寄ったら撮影禁止だそうで、と怒られてしまった。
とても暑くてラクダに乗って歩く気分じゃない…



冬に来ればよかったなあ。

須坂・小布施

避暑地に来たはずなのに暑い。
長野なら関東よりは多少涼しいだろうなんてのは大間違いだった。
むしろクーラー要らずの家は普段冷房をつけていないというので、より一層暑かった。
テレビでは日本列島が高気圧に覆われた図を示しながら最高気温を更新したといっていた。



須坂動物園に行こうとしてあまりの暑さに中止。
央ちゃんも車内で眠ってしまったので、「豪商の館 田中本家」というお屋敷を覗いてみることにした。
江戸時代の面影を残した建物内には、当時使っていた生活用品や衣装、文書や玩具などが並べられており、ちょっとした博物館だ。立派なのは庭園だ。
春の庭、夏の庭、秋の庭と三種類の庭があり、殿様お忍びの門を横切って屋敷内をうろうろした。



これは秋の庭。
紅葉するころには紅い落ち葉がこの池を飾ってさぞ美しかろう。



翌日。
再び動物園にリベンジしようとしてあまりの暑さに中止。
水のあるところに行こうと突如思いついて、水遊び場がある公園まで車を走らせた。
小布施の千曲川ふれあい公園である。
しかし央ちゃんは水を怖がっているだけで全然楽しそうじゃない。
暑いし、とにかく暑いから、もう建物の中に避難しようと思って辺りを見回すと、「野鳥ペーパークラフト展」と書いてある横断幕を見つけた。
人のいる気配の全くない建物に近づいて、入口を探した。



どうやらペーパーアート展はニ階のようだったが、一階の扉を押すと、お茶の水博士が半分くらい減量してちょっとやつれたみたいな感じの人が「どちらへ行かれますか?」と話しかけてきた。
2階のペーパークラフト展ですと答えると、ちょっと寄って行きませんかといって、近くに置いてあった竹製のプロペラを手にとると、“重心”の話を始めた。それは割り箸のようなもので、プロペラのついた棒をこすると、プロペラが回る仕組みになっている。
どうやら物理的法則を簡単に説明するための装置らしい。他にもたくさん手作りらしい装置が台の上に並べられていた。
こちらから質問しようものなら、その人は待ってましたとばかりに楽しそうに話をした。

「野鳥ペーパークラフト展」を鑑賞した。
お客は私たちだけだった。
颯太はこういうペーパーアートが大好きだ。特に作る方。



作品はすべて穴澤郁雄さんが作ったものだと紹介されていた。
写真OKというので、優雅に飛ぶ鳥たちの姿を撮った。



帰り際、ふとあの先生のことを思い出した。
ドラマのガリレオ先生は福山のようにリアリティのないイケメンだが、
もし本当にガリレオ先生のような人物がいるのならやはりあんな感じではなかろうか。そんなことを思った。




軽井沢で現代アート

緑の中を進んで扉を開けると、すうっと冷たい空気が肌にしみ込んで、やっと一息。
鋭い日射しから逃げて、冷房の効いている建物に入ったにも関わらず、そこはまだ林の中にいるような、木漏れ日の日射しを受けているような白い空間。
曲線を描いたガラス窓から見える木々のせいもあるだろう。床はゆるやかな傾斜があり、柱のあちこちに絵がかかっている。水しぶきが飛んできそうな滝の絵である。
ここは軽井沢千住博美術館である。



薄暗い別室に足を進めると、青い光に照らされた滝が壁一面にある。
人の声しかしないはずだが、耳にはなぜか水が地球を割って落ちる音が流れている気がする。
さらに別の部屋では、本当に床に水がうすく張ってあった。いまにも流れ出しそうなその水たまりを注意しながら、視界の向かいには白くぼんやりしたものが地球の源が映し出されていた。

西沢立衛氏による建築らしさのあるガラスと緑につつまれた場所。
いつまでもここでぼんやりとしていたかった。



帰りに併設されている浅野屋というパン屋(上の写真。美術館かと思ったけどパン屋&ミュージアムショップ)で一番人気だというトマトとチーズのあげパンを買った。手のひらサイズのそれは、食べるとミニトマトが丸ごと入っていて、やわらかくなったトマトとチーズとのバランスが絶妙でおいしい。



そこからそんなに離れてない所にある軽井沢現代美術館にも立ち寄った。
草間弥生、村上隆、奈良美智さんといった現代アートで有名な日本人アーティストの作品が並べられており、二階建の山荘のような雰囲気が、誰かのうちにきたような気軽さを感じさせてくれた。来館者への飲みものサービスも入館料に含まれていて、鑑賞後は1階のミュージアムショップ内でお茶を飲みながら小休憩できたのが良かった。


若冲が来てくれました‐プライスコレクション江戸絵画の美と生命

八月になったら、福島に行こうと考えていた。
せっかくの夏休みだし、どっか遠くへ行きたい。
毎日が夏休みのような生活じゃないかというのはともかく、いわゆる学校の暦と同じ夏休みが始まったら行こうと考えていたのだ。正確には福島県立美術館で開催されている『若冲が来てくれました プライスコレクション 江戸絵画の美と生命』展を観にいこうと。

そしてある週末の夜に、突如「明日行く」と宣言し、ちょっとそこまで買い物に行くというような出で立ちでふらりと電車に乗り込んだ。上野から新幹線で1時間半。よく考えたら近い。土曜の朝早くということもあってか、自由席はがらがら、福島に着くころには、同じ車両に誰も乗っていなかった。

美術館は福島駅から飯坂線でひと駅だ。Googleマップのルート案内で徒歩のがいいようなことが書いてあるから、街並みでも拝見しようと思って歩いた。けど、車の通る横をてくてく歩いて、景色はそれほどおもしろくない。美術館に着くころには、きれいな道が見えてきて、思ったより、遠かった。



最近、私の中でちょっとした江戸絵画ブームである。そしてすっかり若冲の虜…。
世間的にはだいぶ遅れた波である。プライスコレクションが大々的にお披露目されたのは、2006年の東京国立博物館で開催された展覧会であった。更にさかのぼって2000年の京都国立博物館で開かれた「若冲展」がそもそもの火付け役ということになっている。
それまで、日本でも殆ど注目されていなかった若冲だけれど、プライスさんのおかげですっかり大人気作家となってしまったのだ。




福島県立美術館に着いて、さぁ、鑑賞するぞと意気込んで中に入ったはいいが、結構混んでいる。余裕で見られると思っていたにも関わらず、そうでもなかった。
展覧会の顔ともいうべき若冲の≪鳥獣花木図屏風≫は展実室の一番最後に飾られており、長蛇の列ができていた。
約1センチ四方の升目8万6千個で構成される屏風。
これが発見された時、博物館の蔵の階段の踊り場に埃をかぶって置いてあったという。
博物館員はこれを下品な絵だといっていたというから、日本人というのは本当に外国から評価されると、急に見方が変わるからおかしなものである。



帰りは電車に乗ろうと最寄駅まで行った。とても駅には見えない小じんまりした佇まい。
窓口は閉まっていて、切符は隣の券売機で購入してくださいとある。券売機の方を見ると、故障中の紙が張ってある。どうすればいいんだと笑いをこらえながら、とりあえず電車に乗ったら、車掌さんが切符を売りにきてくれた。
乗った人をちゃんと覚えていて、一人ずつ話しかけてくれていたのだ。
かわいい電車に揺られて、福島駅に着くころには、央ちゃんどうしているかな、と思って、またすぐに帰りの新幹線に乗ってしまった。短い旅だった。

図書館で「伊藤若冲大全」を開いた。
2002年に京都国立博物館から発行された大型の画集である。可能な限り若冲の作品を収録したというこの本を手に取った時、ずっしりとした重みに心臓が高鳴った。
ページをめくるたびに拓かれる新しい世界。目に栄養を与えてくれるような色彩。
でも私が好きなのは水墨画だ。大胆かつ、繊細な筆遣い。どの絵を見ても、それを見た者を驚かせ、笑わせ、泣かせてくれる。まるで現代アートだ。
はっと思ってケースをひっくり返すと価格4万円とある。ほしい。

今住んでいるマンションの和室は畳6畳に、小さな障子張りの引き扉があるだけである。
屏風はおろか、掛け軸をかけるような床の間はない。効率だけを考えた部屋に、そんなものがあるわけがない。和室と洋室との間にある襖は、クリーム色の無地だ。ここに絵が描いてあったらどんなに素敵だろう。そう思ったら、何か四季を感じさせる絵が必要だと創造力が湧いた。まっさらなんて、なんてつまらないのだろうか。ああそうか、昔の人はそう思って、絵師に絵を頼んだのかもしれない、と思った。

アンデルセン公園 子ども美術館

小学校の広報委員だった時に、おでかけスポットのおすすめアンケートをしたことがあり、県外であるにも関わらず人気だったのが船橋アンデルセン公園。
旧友から久しぶりに連絡があり、千葉県に寄った際にディズニーランド以外でおすすめの場所はないかと訊かれ、行ったことがないにも関わらずこの場所を薦めてみた。人に薦めておきながら一度も行ったことがないのはなんだと思って、夏のある日曜日にやってきたのだった。

森林に囲まれた入口をくぐると、岡本太郎作と一目でわかる「平和を呼ぶ」像がお出迎え。



公園内にはアスレチックやじゃぶじゃぶ池やプールなどの夏にもってこいの遊び場がある。
簡単な計画さえ立てれば一日中遊ぶことができる。

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でも私はすぐに強い日射しに疲れてしまうのでクーラーの効いた建物に逃げ込みたい。
園内の奥に進んでいくと、子ども美術館という建物がある。



もちろん中は涼しい。プールと違って混雑もしていない。
子ども美術館だからといって侮ってはいけない。かなりスタイリッシュな空間だ。



建築としても面白いし、常設展示は目を見張る作品ばかりだ。



津田のぼるさんの缶響アート。すべて空き缶を使って作られているというから驚きだ。
独特の装飾とデザインでファンタジーな世界を作りだしている。



伊藤航さんの精密なペーパーアートの空間。
ライトによって造られた印影が温かみを出している。



これはデンマークの伝統切り紙、モビール。
一見しただけですぐに田尻知子さんの作品だとわかった。彼女の型紙つきの本を何冊か買って作成したことがあったのだ。モビールは購入するとなるとそれなりの値段を張るが、ちょっと手作りしただけで部屋のインテリアとして雰囲気を変えてくれる。



ここには展示だけでなく、子どもから大人までが楽しめる工房やイベントが日々行われており、外にもアトリエがいくつも配置されている。
写真の場所は館内で最も広いワークショップ室。



赤ん坊連れではとても何かを作ったりはできなかったが、冒険がてら建物内を散策し、らせん階段や学校の教室のような場所や廊下の窓に貼られた色とりどりの模様を眺めるだけでも楽しめた。

LOVE展:アートにみる愛のかたち

森美術館で開催中の「LOVE展」に息子と行ってきた。
アートにみる愛のかたち、という副題がついているようにテーマは明らか。
ありふれているが目に見えないその心を古今東西のアーティストが様々な角度から描き、作りだしてきた作品をキュレーターがチョイス。
それを垣間見ることは息子と一緒に見るという行為自体が何だか気恥ずかしいような気がしてきた。



草間彌生さんの作品は写真撮影OKだったので、私も一枚。鑑賞者は皆、カメラを構えてあちこちシャッターを切って楽しそうだった。

この空間は全面ガラス張りで、床にビニール製の(中にはおそらく空気が入っている)足、足、足。トレードマークである水玉模様のストッキングを履いた女性の足が生えている。

とても奇妙なのになぜだかこの水玉模様に魅せられてしまう。
これが作品というより鮮やかでカラフルなアトラクションのように感じてしまうのは、水玉の大きな丸が愛らしいのと、くねくねした足がコメディのようなおかしさを醸し出しているせいだろう。

軍艦島

今年の夏休みは信じられないほど加速度をつけて過ぎ去り、
時間の奴、実は止まってるのじゃないの、とか錯覚を覚えるほどの感覚であった。
かつて自分が小学生の頃、宿題を一体どうやって片づけていたのかまったく記憶にないけれど、31日ぎりぎりまで宿題に追われた記憶もなかった(本当はやってなかった?)
息子は最終日、蒸し蒸しとした部屋で一日中、イヤイヤ読書感想文を書いて休みを終えた。

この夏は二回だけ遠征した。長野と長崎。
長崎は以前から念願の希望であった軍艦島訪問であった。
数年前一時廃墟ブームらしきものが沸いていた時、
軍艦島への観光ツアーができたと聞いて是非行きたいと思っていた。

軍艦島は長崎港から出ている専用船で行くことができる。
一日に2回ほどある「上陸ツアー」は港の窓口でチケットを4300円で買った。
一時間弱もの間、船に揺られながら
海の男っぽい日焼けした若い男性が、
船上から見える長崎港の様子をガイドしてくれた。
中でも、三菱重工長崎造船所の巨大クレーンや、
海上保安庁の漆黒の軍艦は迫力がありすぎて、
あまりに見とれていたため、シャッターをうまく切れなかった。

しばらくすると、船員は、
「島には飲み物を買うところもありませんので、今のうちに買ってくださいね」
と注意を促し、
「暑いですから、帽子をいまから配ります」
と、帽子を持たない人全員につばの大きい農業用みたいな麦わら帽子が配布されたが、
わたしは自分の帽子でいいと思ってその帽子を断り、
喉乾いてないから水もまだいいやと思って買わなかった。
何しろ、1階の涼しい所にいた私である。完全に外の暑さをなめていたのである。

船が島に到着し、
わくわくする気持ちを抑えられず、期待の一歩を踏んだ刹那、
あまりの太陽光の強さに眩暈を覚えた。
そして、上陸して数分も経たぬうちに汗が滴り落ちてきたのだ。

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船に乗っていた五、六十人あまりの人が全員降りると、
班に分けられ、それぞれガイドの人に従って見学通路を歩き、
三か所の見学場所でかつての軍艦島の歴史などを聞いた。

念願の軍艦島に着いて早速、写真を撮りまくっていたが、
なぜか腕が鈍るというか、視界がぼやけてくる。
コンクリートの塊のようなこの島の上で、
もう身体はどろどろに溶けてもおかしくないくらいの状態となった。

ガイドのおじいちゃん、よく平気でしゃべってられるな
なんでこんなに元気なんだろ、長崎の人ってこんなの平常通りなのかな
と本気で関心した。
やっぱ水買っとけばよかった。やっぱ麦わら借りときゃよかった。

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この島はなぜこんな変わり果てた姿となってしまったのか、
その歴史は1810年、石炭が発見されてからである。
1890年に三菱が本格的に改定炭鉱としての操業が始め、
1974年までの84年間、炭鉱の島として発展し続け、
エネルギー革命によって石炭の価値がなくなり、閉山してからは、
37年もの間ずっと無人島であり続けてきたのだ。

軍艦島はすべての場所を見学できるわけではない。
見学通路は島の片側、しかもかなり限られた場所で外観から遠目にみることしかできない。
それでも建物に近づくことができた。

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日本初の鉄筋コンクリート造の高層住宅地は、この島に立てられたという。
こんな小さな島にかつての近代化がすべて詰め込まれ、
豊かさを求めて人が集まり、生活があり、日本の先端を走っていたことが、
目の前の無人の建物の中にあったとは、信じがたいことだった。
けれども、ここには人がひしめき合いながら世界をつくっていたのだとしたら
これほどに惹かれるものはない。

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写真に映っている赤い煉瓦の断片は銭湯だったそうで、
炭鉱の仕事を終えて帰ってきた男たちが、まず海水の浴槽にそのまま入り、
次に隣の海水の浴槽2に入って汚れを落とし、
上がり湯だけしか真水を使えなかったという話を聞いた。
常に真っ黒だったという風呂は一体どんな有様だったのか、
酷い汚れに違いないとその様子をしばし夢想した。

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これは精錬された石炭を貯炭場から運搬船に運ぶための
ベルトコンベアーがあった所でいまは支柱だけが残っている。

採掘作業は海面下1キロまでおよび、
中の気温は30℃、湿度は95%という悪条件の中働いていたという。
そして、掘り起こした土は島を埋め立てるのに使い、
もとの島の大きさの3倍にまで広げていったのだ。

島に留まっていた時間は一体何分だっただろうか、
あまりの暑さのために記憶がなくなっていたため、カメラの記録を見たら40分程度だった。
建物の風貌、風化具合に感動したものの、やはり外観だけでは物足りないというか、
建物の中に侵入して、町の様子を見ることができたらどんなにいいのにと思った。
危険なことは理解できる。
実際、先日長崎をかすった台風2号のせいで、通路の柵が殆ど壊れ、
建物の一部も崩壊したという話を聞いた。
それでも、もう少し接近できたらと欲がでてしまう。
それにしても、こんなに暑いとは(そればっかり)。

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船は島を出ると、来た道をそのまま帰るのではなく、
島をぐるっと一周するようにして、元の航路へと戻っていく。
その際に、この島が「軍艦島」と呼ばれる由縁となった姿を拝むことができた。
正式名は端島というのだが、この姿が軍艦「土佐」に似ていることからこの名がついたという。
確かに軍艦の形に見える。

流線形を横から見たような先端の形、
激しい波に幾度となく晒され絶妙な色合いを出している高層アパートと黒い窓枠が
まさしく船の乗船部分になっているようだ。

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学校も病院も神社も映画館もあったという町。
だがこれはいってしまえば、ただの色褪せたコンクリートの塊である。

私はガイドが言っていたガイドらしからぬ言葉を思い出す。

「どうして人はこんな廃れた所に魅力を感じ、
どうして多くの人が訪れたいと思うんでしょうか。
すごく不思議ですよね」

その理由を考えてみた。

長い時間をかけて変わり果てた異空間に身を置くことで
不可思議さを体験しつかのまの歴史を感じたいからではないか。
もしくは、誰しもが現実の中で不条理さを感じつつ「現在」を生きているからこそ、
「過去」の不条理さに共感し、心を癒したいからかもしれない。

と、あれこれ考え、
青い海にぽっかりと浮かぶいまにも動き出しそうな島を
船の二階から激しい海風に煽られながら、
遠ざかり、小さくなって見えなくなるまで
ずっと眺めていた。



豊島

豊島は港もあれば、砂浜もあり、田園もあれば、棚田もあり、少し場所を変えるだけで
見えてくる景色が全く違う。いろんな顔のある島。
わたしはこの映画の中の風景のような島に「もう一度来よう」と勝手な決意をしていた。

豊島で最も印象に残った作品は
ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラー氏の
インスタレーション、《Storm House》(作品#24)だ。
民家の中で床の間のある畳の部屋にバケツと扇風機。
中は薄暗く、蒸し暑いけれども、縁側の窓を見ると大雨が叩きつけられるようにして降っている。
激しい雷。吹き荒れる風。雨は時間とともに激しくなり、電気はショートする。
その時間、ずっと窓を流れる雨粒を見ながら、自分はどこかへ飛んで行ってしまった。

自然の中にあって静かな場所であればあるほど、観賞者の五感は研ぎ澄まされて、
音を奏でる作品は際立って鮮烈な印象を与えるのではないかと思った。

作品の「隣」の家のツル屋敷。
あまりにもこの繁っぷりがすばらしかったので披露。
島々にはこんな風にあまりも多くの廃屋があちこちにあり、それを利用して作品は展示されている。

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下の写真はトビアス・レーベルガー《あなたが愛するものは、あなたを泣かせもする》の店内。
ここはカフェでランチをするならここがよかったと入店してすぐさま後悔した。
何しろ、豊島は食べるところもなければ、お店も殆どないと思っていたので(地図に載ってない)
持参したおにぎりをベンチでパクパクすることにしたのだが、
各作品の点在する場所には、必ず一か所くらいは飲食店があった。

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唐櫃浜について自転車を借りて(1時間100円)、
クリスチャン・ボルタンスキー《心臓のアーカイブ》まで走った。
ここは平坦だから楽に走れた(徒歩でもいい)。
砂浜が美しい場所に立つこの黒い建物の中では、ずっと誰かの心臓が鳴り響いている。
どこかのだれかの生きている人の心臓音。
展示室は怖くて長居できなかった。自分の心臓の音も録音できて作品の一部になることができる。

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すぐお隣の大阪芸術大の《ノリたゆたう》もよかった。
夏休み中の大学生達が丁寧に説明してくれる。ゆったりとねころんで暑さを忘れるひととき。

ここは藤浩志《こんにちは藤島八十郎》の作品。
趣のある家の入り口。蔓植物の絡まり具合がいい(こればっかり)。

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中は架空の人物(絵本作家)「藤島八十郎」を想像し、
彼の暮らす生活空間をつくったのである。
こんな暮らし素敵だと思うのはわたしだけではないはず。

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横尾忠則氏の民家の庭先、そして中は彼の絵画作品の展示で、
民家ごと美術館としたような空間の使い方がよかった。
赤く塗られた岩は血液とか地獄を連想させる。

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最後はさわやかに。棚田にある田園風景の中に溶け込んだ作品。
この作品に辿りつくまでが大変だった。
歩いただけあって、着いた時の解放感は見晴らしのいい海の見える景色とともに観賞できる。

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豊島はレンタカーがあれば楽に回れる。(中央に大きな山があるので、登るのはキツイ)
バスでも観賞可能だけど、のんびりしてたら丸一日かかってしまう。
バスも本数が少ないのでちゃんと時刻を確認して行動したほうがいいので
これから行く人は、ご計画をしっかりと。
涼しい方が俄然、観賞には楽だろうな…。


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