世の中の多くの人が、最近はお気軽に映画館に足を運ぶようになって、
1年間に制作される映画の数も500を増える一方の邦画界。

でもそんな世の中に反して、私はもっぱらのDVD鑑賞。
それでも何かの衝動に駆られた時、私は映画館に行く。

wowowの「空飛ぶタイヤ」を観て以来、
社会派ヒューマンドラマにはまり気味の私。

シナリオセンターの企画書講座の宿題で、wowowシナリオ大賞に公募することを想定した
企画書を書くというのがあって、その時に再び観たのが、「プリズナー」

脱獄サスペンスモノなんだけど、主役の二人、玉山鉄二と大森南朋があまりにも格好良くて、
不覚にも(?)もうすっかり虜になってしまった。
ああ、これはやばい、まずい、と思いながら、
「ハゲタカ」の大森さまを観て失神し、
投資ファンドの世界をこれだけエンターテイメントとして描けるところがすばらしい!と感動。

映画では再びこの二人の絡みが拝めるのかと思うと、
メガネ男子好きな私が、冷静な判断で映画を分析どころではない。

客層は“おじさん一人鑑賞”が最も多かったように感じた。

すばらしいと感じた点:
社会派エンターテイメントの表現の仕方
自動車メーカーの光と影の両方を描いていたこと
企業を舞台にした映像はつい、絵が単調になりがちだが、
様々な場所の設定によって、緊張感とスピードのある展開があったこと

残念だったこと:
今回はハゲタカVS赤いハゲタカということもあったので、
この二人の戦いが主軸になっていたけれど、個人的には二人の絡みのシーンをもっと観たかった
最終的にある意味少し悲しい結末となっていたこと

小説を読んでどう脚色したのか、勉強します


この記事のURL | 2009.07.02(Thu)08:44 | 見たもの | Comment : 02 | Trackback : 00 | 
「暑い。」

教室の後ろで、ゆるやかな授業をただなんとなく立って聞いているのが辛くなってきた。

子供たちはみんな、背中が汗で濡れている。
隣にたっている誰かのお母さんが小さい声で「私たちが子供の頃、扇風機あったわよね」と言っている。
ないものはないのだ。みんな、暑いんだから。

算数の授業を補助している先生をはじめて見た。
ぷっくりと全体的に丸まっていて、お腹が異常に出ている。
円形はげ頭でメタボっ腹。
後ろで手を組んで、計算のチェックをしたりして、うろうろしているが、
近づいてくるのを見ると余計、暑くるしい。

三桁の引き算をやるのにどれだけ時間をかけるんだ。

ふと、全開になっている窓の外をに目を移す。
青々と生い茂った木の葉が風に揺れているのを見ると、少しだけ涼しさを感じる。

校庭は太陽光をたっぷり浴びて、校庭に埋まっているピンクと緑のタイヤの色がやけに鮮やかに見える。
白い朝礼台もやけに白く見える。

まだまだ計算は終わらない。丁寧にロジックを教えている。
ここは我慢、我慢。
子供たちもこの暑さでちょっとだれてしまっているのだろう、そう感じた。

授業参観の後は、恒例の懇談会ってやつがある。
今日は人が少なくて、10人くらいしか来てなかった。
担任の先生は一人でぺらぺらと1時間ほどしゃべっていた。
彼女は、私から見ると教師以外の何者にも見えなくて、
長年培ってきた教師という職業がしみこみ、風貌も染み付いているように見える。

4月の頃には、毎日のように誰々がこう言った、ああ言った、
蹴った、ぶっただと文句ばかり言う子がいたそうだ。
その子が6月の始め頃、クラスに設置した「なかよしポスト」のおかげで
もう、今は全くそういうことを言わなくなったという話を聞いた。

「なかよしポスト」とは、友達のいいところを紙に書いてポストに投函するというものらしい。
投函された紙は、帰りの会などで発表される。
「いいところ」を書くという試みは、
どんなに嫌な人であっても、その人のいい面を発見するすばらしい方法だ。

自ら気がつかなくても、誰かが気がついたことを知ることができるし、
いいところを言われた当人も、単純に嬉しいし、自信がつく。

これは、会社とかの人材育成とかのカリキュラムとかにもよくある。
グループでそれぞれの「いいところ」だけを紙に書く。
それによって、改めて自分と他人を見つめ直すことができるのだ。

3年生になってから、毎日のように「日記」の宿題がある。

日記に何を書くかは自由だ。

しかし、ここには子供たちの様々な想いが書き込められているのだろう。

ある日、その子は日記にこう書いたそうだ。
「今日は、○○ちゃんと完璧に仲良くなれました。
自分が生まれ変ったように思いました。○○ちゃんも生まれ変ったように見えました。
私は学校が大好きになりました」

他人の揚げ足取りばかりしていた子が、一人の友達と喧嘩を繰り返しながら
真の友情を見つけた、というとても感動的なエピソードであった。

私がかろうじて思い出せる小学校の一番古い記憶が、三年生かもしれないなと思った。
あの頃は確かに、クラスの人間関係が重苦しく感じられるようになった年でもあった。
どんよりとした、心苦しい毎日のようだったと思う。

そう思うと、ここにいる子供たちは、
もう子供ではなく、少年少女になったということの証明なのだった。


この記事のURL | 2009.06.29(Mon)21:59 | 記録 | Comment : 01 | Trackback : 00 | 
会社を辞めてから約1ヵ月後のある日、
雇用保険で失業給付を受けようと思い、ハローワークに行った。
ハローワークに行くとまず「失業認定」という処理が行われる。

いわゆる、失業しましたという報告と、次就職しますよという意志の提出だ。
この雇用保険は、会社を辞めれば誰でももらえるわけではなく、
「就職しようとする意志」や「就職活動の実績」がないと
もらうことができないようになっている。

今回は最初の「説明会」とやらに、出向いたのだった。

私は八潮市というところに住んでいて、管轄の「ハローワーク草加」に行ったのだが、
ものすごい辺鄙な場所にある。
車やバスでしか行けないようなところにありながら、駐車場は狭く、
周囲には一般のお店などはあまりなく、工場団地が続いているようなところなのだ。

そんなこと言っても仕方が無いので、最初の日はバスを乗り継いでいったのだが、
次のバスが、着いた瞬間に行ってしまって30分以上待たされるということを経験してから、
いまは電車+バスで行くことにした。

説明会は100人あまりの人がパイプ椅子に座って、雇用保険の説明を受ける。
老若男女様々だが、平均年齢は高め。
前に立った社会保険士の人が、現在の状況を説明してくれる。

社会保険士「ハローワーク草加は、草加市、八潮市、三郷市の三市を管轄とし、
        現在の受給者には、月あたりにして約3億円の受給が行われています。
        利用者は現在7000人で、求人募集は月にして約2500件。
        有効求人倍率は、4月の時点で0.36です。
        これは、10人中6人は仕事がない、という状態を表しています」

この0.36というのは、日本全体の平均、0.46よりも低い。
それだけではない。月に3億円ものお金が風のように飛んでっていると思うと、
恐ろしいな、と思うのだった。

30分くらい、「雇用保険とは」のようなビデオを観た後、
手元の資料で自分のケースはどのようなパターンになるのかなどを確認した。

自己都合で辞めた私の場合、最初の認定日から3ヶ月間はもらえない。
まぁ、これは自己都合で会社を辞めた人の多くはすぐに次の仕事を
見つけるからだろうけれど、私の場合は、いつ安定した仕事が見つかるかは未知だ。

3ヵ月後の認定日に再度、ハローワークを訪れ、3回以上の求職活動を報告する。
その後、認められれば、ようやく受給が始まるのだが、
勤続年数が10年未満の場合は、最大でも90日間しかもらえない。
受給中は、1ヶ月に1回、ハローワークに行って、
月2回以上の求職活動の実施を報告して、失業認定を受けないといけないのだ。

・・・とまぁとても面倒で、きっちりした制度になっている。
認定日に来なかっただけで、受給は止められ、
求人を断ったりしても、受給が止められてしまうという。

受給される場合、金額はその人が最後に就いていた仕事でもらっていたお給料の
1日あたりの賃金の約半額が、1日当たりに受給される額になる。
でも、これも“上限”ってやつがあって、どんなに給料がいい人でも、
もらえる額は上限止まりってことだ。

最初は、「別にもらえても、もらえなくてもどっちでもいいや」くらいの軽い感じで
出向いたのだったが、案外、自分に合った制度だと思い直し、
もらえるようにやってみようか、という気になった。

帰り際、ハローワークの傍のバス亭でバスを待っていたら、
バス待ちの人は何人も居たにも関わらず、
保険のおばさんが私のところにやってきて、話しかけてきた。

おばさん「○○生命という者ですが」

私はとっさに、保険の勧誘か!?と思ったが、違った。

おばさん「生命保険の営業、やってみませんか?」
私「えっ(と青ざめる)」
おばさん「さっき、職業安定所から出てこられましたよね?」
私「えっ、ああ、まぁ、そうですけど…。…ちょっと違うと思います」
おばさん「少しお話とかできますか?」
私「いえ、私には……違うと思うので、すみません」

バスも到着し、その場で断ったが、半ば強引に名刺を渡された。

ハローワークで待ち伏せする、保険の営業レディ。恐るべし!
なぜ私に話しかけてきたか。他にもたくさん人は居たのに?
その日の格好が、スーツパンツに白シャツといういかにも営業スタイルだったからか?
謎である。


この記事のURL | 2009.06.26(Fri)20:58 | 記録 | Comment : 01 | Trackback : 00 | 
今日は弟の結婚式で原宿へ
毎週のように表参道に足を運んでいるにも関わらず、目に止まってなかった
ルイ・ヴィトンのお店の前。
休みの日で天気も良かっただけあって、人が多かった。

ルイ・ヴィトン × 村上隆

新作の村上隆とのコラボレーションで生まれたデザインを一目見たくて店内へ
プティパンダがお出迎え。

アニメーション『SUPERFLAT FIRST LOVE』も店内で流れてました


前作『SUPERFLAT MONOGRAM』の方が私は好きだな〜



『SUPERFLAT FIRST LOVE』ついに公開!
http://www.kaikaikiki.co.jp/news/list/superflat_firstlove/
この記事のURL | 2009.06.20(Sat)21:00 | 記録 | Comment : 00 | Trackback : 00 | 
会社の人と1ヶ月ぶりくらいに会った。
居酒屋でビールを片手に、私は何だか気分がすぐれなかった。
何故こんなにも気持ちが悪く、不安定なのかその時はよく分かっていなかった。
私には期待される答えを何も持ち合わせていなかった。
彼らが想像する私の日常生活を、簡単に想像することができた。

私の筆は進んでいなかった。
様々な試行錯誤をして、教師の言うことを聞いて、
どうやったらいいか(技術のこと)、どうすべきか(ノウハウ)などをずっと考えていた。
しかし、それに従って書きながらも、何かが違うと思いながら、
前に進んでいないことをどう説明していいか分からなかった。

会社をやめておきながら、本当は「組織のひとりでいたい」、
社会から外れても、「本当は社会の中にいたい」という気持ちがあるからだと後から気がついた。
私はどうしてか、「社会の中にいる価値」や、「社会のどの位置にいるか」ということを
気にする人間に育ってしまった。
自分で選んだ道であるにも関わらず、この中途半端な自分を許しがたかったのである。
なぜそれなら、やめたのか?
真に何かを見たり、感じたりするということは、そこに身を置くことでは、
到底見えない位置に行くことが必要である。
誰かの意思ではなく、自分で感じたことをしっかりと掴むということが、
創作の基本であるからだろう。

私は何のために「書く」という行為をしようとしていたのか、忘れてしまっていた。
それは「感じる心」を忘れたくない、ということではなかったか。
流され、何かを失っていくことを気がつきながら、それを探すことも無く
時間は過ぎ、何も感じられなくなっていく自分が嫌だと思ったからではないか。
どんなに苦しくても、「何のために書くか」、を決して忘れてはいけないのだと思った。

書くことだけじゃない、どんな些細なことでも、同じである。
「なぜそれをするのか?」、という気持ちを忘れてはいけないのだと思う。
人は目先にある目的に焦点を捕らわれがちである。
「○○しなければ」というのは、目的ではない。
その先にある、それをして、どうしたいのか、が重要なのである。

私の場合は、感じたことを表現することである。
まずは、自分が感動するものでなければ、
他人を感動させることはできないだろう。
だからこそ、まずは自分が感じる心を忘れてはいけないのだと気がついた。

これに気づくまでにおよそ一晩かかり、しかしながら、それを気づかせてくれた
会社の同期にはいつも感謝するばかりである。


この記事のURL | 2009.06.17(Wed)17:13 | 思ったもの | Comment : 02 | Trackback : 00 | 
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